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先ず、学生から論じよう。彼らは、インドネシアの歴史の中での危機的な期間の社会的変化における触媒の役割を果たしてきた。彼ら学生は、様々な集団によって利用されてきた。例えば政党、軍隊、国粋主義勢力等など。例えば、スハルトがスカルノを解任しようと画策したとき、彼は、学生達がジャカルタやその他の場所で騒動を起こすように誘導した。今では、学生達は彼を引き降ろし、裁判にかけるために使われている。

学生達は、また、政治的変化を要求している。しかし、学生の力もまた限られている。彼らは、政党や政治機関と競争して支持を取り付けるための適当な機関を持っていない。

スカルノの時代には、NACHDATUL ULANAや、異なる利益集団やイデオロギー代表していたMASYUMIなど多くの政党が存在していた。スカルノは、1965年に失脚する以前、国粋主義者、宗教集団、共産主義者を含むASAKOM内閣を持っていた。彼は、鉄拳でインドネシアを治め、1945憲法を口実として使いながら、「管理民主主義」の政権を布告した。

1945憲法は、より強力な大統領権力をスカルノに与え、彼の後のスハルトの様に、政党を禁止するために憲法を使った。スハルトの新しい統治は、1945憲法を残しながら、大統領と副大統領を選び、向こう5年間の、国の政策方針を決めるために、5年ごとに招集される人民諮問会議(MPR)をとおして、彼の権力を強化した。大統領は、その会議のメンバーの半分以上を指名し、また、そのメンバーの大部分が政府政党(GOLKAR)のメンバーだったため、誰かが彼に挑む見込みはほとんどなかった。

それが、スハルトのインドネシアにおける政治支配の手口である。1966年以来、彼は、権力を失う時まで、無競争で7回再選された。しかし、スハルトの権力の本当の源は、憲法上(組織の)の権威ではなく、軍隊の忠誠を獲得する能力であった。大統領に対する軍隊の支援は、インドネシアの彼の長い統治の基礎であった。

スハルト政権のもとで、全ての政党が禁止された。例外は与党のGOLKARである。議会を構成する500議席のうち、100議席が軍指導者用であり、残る400議席がGOLKARのものであった。

他の2つの非政府政党は、PPP(イスラム政党)とPDI(古い国粋主義者とキリスト教政党の混合)である。スハルトは、巧みにイスラムやその他の宗教、そして国粋主義勢力を弱体化させた。彼らはただ名目だけの存在であった。彼らがGOLKARの脅威になったときは、いつも切り捨てられた。

今では、イデオロギーのみならず、おもに宗教政党の再浮上を見ることができる。しかし、どの政党が、選挙に勝つための強力な機関を持つか、どの候補者が現職を破って出てくるかは、誰にもわからない。

主要な政党の中にはNU党,PDI党,PN党,そしてHAMZAHのPPP党がある。勿論、現与党のGOLKARは、強い政治的影響力を持ち続けるだろう。

ARWorGDによって率いられるNU党はMSのPDI党と協力するかもしれない。PN党と、元政治学教授であるARに指導され、イスラム教を基礎とした二千三百万の支持者を持っているNMPは、インドネシアにおけるいかなる選挙でも、非常に重要な役割を果たすだろう。BN党は、影響力のある退役将軍や、元GOLKAR党員によって作られた政党であり、彼らがおそらく結束していた元大統領スハルトとの親密な関係に関わらず、7月の選挙で大きく頭角を表わす可能性がある。

 

 

 

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