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2、インドネシアの諸問題は、経済危機によって複雑化した独裁のルールと、ともにあった。1997年7月、もし、経済の悪影響がインドネシアを襲っていなければ、スハルトは職務を続けていただろうし、政治的な変化は、ほとんど起こらなかっただろう。

最初にタイのバーツを攻撃し、その後、その地域に野火のように広がった経済的悪影響は、インドネシアの政治的発展にとって、ある意味では、表面上は不運に思える幸運であったとも言える。それは、スハルト大統領の失脚を引き起こした。これまで彼を追い出す努力はどれも成功しなかった。30年以上もの間、権力の座にあったスハルトを公平に判断すれば、彼はインドネシアにとって多くのことをなした。その多くの成し遂げた業績の中には、次のことがある。

●インドネシアの近代化

●インドネシアの経済の強化

●友好な外交政策の発展

 

インドネシアはスハルト政権のもとで、安定した地域的軍事力を整備した。スハルトが権力の座にあったとき、マレーシアに対し彼は、KONFRONTASI軍を派遣した。

●インドネシアは、アジアの安定にとっての要所となった。

●インドネシアは、コメの輸出国となった。コメはインドネシアの安定した食料である。コメの豊富な生産は、インドネシアの安定化(セイフティー・ネット)にとって重要である。

●スハルトは、共産主義者の影響を撲滅する責任があった。実際に、彼は、(後知恵ではあったが)共産主義者を扱うに際しての強硬策を取らざるを得なかったのである。

●インドネシアに民主的な機関を再導入した。

●アメリカの政策の強いサポーター。

●外国資本の歓迎。

●国際社会によって彼が賞賛を受けた人口政策を含む強い処置の導入。

 

以上のプロセスにおいて、スハルトは、政治的にも、また経済的にも欲深すぎたため、権力の座に居座りすぎた。彼は権力の座から降りたくなかった。そして、どれほど優秀な競争者も推薦しなかった。彼は、ゴルカー(GOLKAR)に多くの力を蓄積しすぎた。そして親友で固めた政治グループを発達させ、彼の家族を富ませる政策を導入した。スハルトは後援者保護政策を作り出すことにおいて誰にもおとらなかった。

実際、彼のキャリアの最後の日に向かって迫りくる災いの前兆をものともせず、内閣に長女を入閣させ、親友のボブ・ハッサンを貿易大臣に指名した。事実、彼が内閣に指名したほとんど全ての人たちは、彼の忠実な後援者達だった。後は、インドネシアの歴史そのものである。

 

インドネシアに影響をもたらしている要因の予知をする前にインドネシアの政治とその地域における影響力の、良い見通しを得るため、インドネシア国家の鍵となる局面を考察する。

インドネシア国家を動かす主要な要因は、次の通りである。

・政党

・軍隊

・イスラム教

・国粋主義者勢力

・学生

 

 

 

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