この第1ロットの3隻のほかに、第2ロット3隻は89年10月に、第3ロット3隻は93年1月に発注された。このテンポで発注されたのであるから、やがて18隻の潜水艦を保有する潜水艦隊が21世紀の初めには韓国ににわかに出現するという見方があったのも当然であった。しかし、その後、潜水艦18隻説は消えてしまい、韓国海軍の潜水艦は現在6隻である。恐らくは予算の関係からであろう。
次に90年代はじめに、韓国は国防力整備の見直しを行った。92年のことである。それまでは国防費の60パーセントが陸軍に対して配分され、残りの40パーセントが海空軍に配分されていたが、このときからこれを60パーセントを海空軍にあてることが決定された。そして、具体的にF16を120機、駆逐艦を10隻、潜水艦を6隻導入することが決まったのである。
この時期、すなわち90年から92年に韓国が海空軍力重視に傾斜していったのは、次の3つの理由からであった。
(1)ソ連が崩壊し、冷戦時代が終わり、米国の力は十分ではなく、北東アジアに力の空白ができつつあると韓国は見ていた。
(2)韓国陸軍の近代化と米韓連合抑止体制の強化により、韓国の国防体制に余裕が生まれつつあり、朝鮮半島の統一という時代も視野にいれつつ、統一に備えた適正な国力、軍備をととのえる必要が生じていると考え始めた。
統一韓国の時代に備えた韓国の国防力となれば、当然「陸軍偏重体制の是正」が課題となる。
(3)日本の自衛隊の装備の近代化に倣いつつ、イージス艦の導入、AWACS、P3Cの導入などを韓国が急ぐことが検討された。
この時期に海軍力を充実する必要性について、韓国作戦本部の部長は、冷戦崩壊後の力の空白、統一時代への準備、日本の海上自衛隊の装備更新の3つの理由をあげて、韓国海軍の海軍力の強化を唱えている(注6)。
「トラック2」でも変化が起きはじめた。90年代から、韓国では北朝鮮の脅威が減少したあとの韓国の安保を考える活動が、学者、軍、マスコミ関係者を中心に活発になってきた(注7)。1991年から海軍本部は海軍力のありかたについてのセミナーを毎年開催してきたし、李相禹・韓国西江大学教授らが中心となって海洋戦略を考える学術研究が始まり、97年からは、博報堂・岡崎研究所、米海軍研究所(CNA)、韓国国防研究院(KIDA)が主催する日米韓の「トラック2」による海軍協力のありかたに関する3か国会議が始まり、韓国人学者は日米韓の協力に関して少なからぬ意欲を示してきた(注8)。
そして、韓国の建国後50年目に成立した金大中政権時代になって、さらに韓国海軍の役割の重要性が指摘されるようになっている。韓国建国50周年の1998年10月、韓国で開催された国際観艦隊式には金大中大統領がみずから出席し、大規模なイベントとなった。予行演習の規模は大きく、各国からの招待客が参加し、日韓の民間シンクタンクで、97年から頻繁に安全保障対話を実施している博報堂・岡崎研究所(東京)と韓国ヨイド研究所(ソウル)のKJシャトル会議参加者も招待された。