海洋国家としての韓国
では、韓国は戦後の分断状況の中で初めて海洋国家となったのだろうか。実は歴史はさらにさかのぼる。韓国は16世紀の時代にすでに海洋を重視し、その安全保障との関連で海洋の存在を考え準備していたのである。李舜臣将軍の水軍の例である。壬辰倭乱において、李舜臣の亀甲船は準備周到に戦術を練り、朝鮮半島南部の海域で日本の水軍を打ち破り、韓国では救国の将軍となっている。この水軍の存在があったために、豊臣秀吉の軍は前線舞台への補給路が断たれてしまって中国大陸に進出することができなかった(注3)。この水軍の勝利の経験は朝鮮の歴史に残り、韓国人の民族主義の象徴となっている。
1948年の建国以降は、韓国は北朝鮮の圧倒的な陸軍力の脅威に直面してきたために、海軍力の整備をする余裕がなかった。50年代、60年代は米国から駆逐艦(2000トン級)や200トン以下の哨戒歴を借りたり、購入したりして間に合わせた。70年代からは、米国から借りる艦艇も大型化し、3000トンから3500トン級のものになった(注4)。
韓国が本格的に海軍力整備を始めたのは80年代初めだった。ただ、それは海洋国家としての韓国がどうあるべきかという戦略があったわけではなく、装備の老朽化が理由であった。かつての米国が第二次大戦末期に建造した米国の旧式駆逐艦を導入していたために、装備の更新の時期を迎えており、海軍は1981年から新型艦船を導入しはじめたのである。81年以降、9隻のウルサン級フリゲート(2180トンから2300トン)、ドンへ級コルベット(1076トン)4隻、ポハン級コルベット(1220トン)を24隻建造する計画が決定をみて、90年代初めまでに順次就役した。
90年代にはいると韓国海軍の装備近代化に拍車がかかった。KDX-1オクポ型ミサイル・フリゲイト(3900トン)3隻を1998年から順次就役させるために建造を開始し、KDX-2(4800トン)3隻は、1996年度に「2001年から就役させる」という計画が決定した。この計画は94年頃に浮上したものであった。
韓国が潜水艦に対する関心を強めたのは80年代後半である。80年代後半、韓国軍建軍から40年がたったとき、86年頃に韓国政府から米国の専門家に対して、韓国の潜水艦の国産化の打診があったといわれている(注5)。韓国は米国からの潜水艦の導入を果たせず、87年末、韓国はドイツHDW社に209型潜水艦を3隻発注した。93年、すでにドイツで教育訓練を受けていた韓国海軍の基幹乗組員により就役して、韓国に到着した。チャンボゴ級潜水艦(1285トン)である。潜水艦の2番艦は92年10月、3番艦は93年8月に進水した。