だから、北朝鮮との同盟条約を締結していた旧ソ連と中国との交流は70年代までは思いもつかないことであった。韓国に対して開かれていたのは、海だけであり、北朝鮮という北の脅威が存在していたために、韓国は実際は南の海を活用する以外に選択の道がなかったのである。
韓国民は外国に行く時には空港を利用して飛行機で移動したし、自動車や鉄道で外国にいくということは考えもできなかった。すなわち、韓国は戦後の長い間の分断状態の中で海洋国家としての性格を強めてきたのである。
このことにより、「韓国は陸軍国ではあるけれども海洋国家である」という独特の性格が培われた。韓国は北朝鮮と対峙しつつ北の陸軍の侵攻を抑止するために、陸軍力を強化してきたけれども、韓国民の意識は海洋に対してのみ開かれていたのであった。韓国は海、すなわち、黄海(西海)と日本海(東海)があることにより、南の日本と、その先の米国、欧州、豪州とつながっており、外国に飛躍できたのである。
このような、北側が閉塞状態にあって海洋に向かって開かれている韓国の地政的位置について、韓国の政治学者は「北と対峙している韓国は、半島国家というよりは、事実上、島国であり、韓国の地政的位置は、実は日本の地政的位置と同じ条件である」と指摘している(注2)。いいかえると、戦争が起こりそうで起こらないという緊張状態が長く続いたことにより、韓国の戦略環境、地政的位置は島国と同じであり、その条件下で韓国は建国以来、国家の発展戦略を考えてきたのである。
例えば、民間部門の発展を考えるとき、韓国は建国のときから陸上からの輸送はできないことを前提に工業部門の発展を考えざるをえなかった。そして、海運業を発展させた。
下の表は、1人当たりの貿易額と貿易依存度を1996年を例にとり、韓国の1人当たりの貿易額、貿易依存度は日本と比較したものである。韓国の貿易依存度が高く、海洋が死活的に重要であることがわかる。