日本財団 図書館


ワークショップvol.8

海につながる河川の整備と自然環境

 

講演「失倉海岸と市民活動」

喜多播龍次郎氏/西淀川区民の海岸造り推進会議 代表

 

014-1.jpg

講演中の喜多幡氏

 

●大野川緑陰道路

西淀川区内は、淀川の河口に重工業の工場施設、また沿岸には対岸の此花区の工業地帯の下請け工場が多く、1960年代は、四日市と並んで「公害の町」と呼ばれる環境の悪い地域でした。区内を東西に流れる大野川も運河としての機能がなくなり、ドブ河となっていました。1968年、大阪市はマスタープランの中で、この大野川を埋め立て、その上に伊丹空港へ向かう高速道路を建設する計画を発表しました。私たち住民は、この計画については全く知らされていませんでした。そこで、付近の工場経営者や労働組合、住民や学校に働きかけて大野川緑地化推進委員会を結成し、「今の西淀川区に欲しいのは、高速道路ではなくて緑だ。埋め立てた後は、全面的に緑地にして欲しい」という要求を市に提出しました。この要求にはlヶ月で2万人を超える署名が集まり、代表者30数名が30回以上、市と交渉にあたりました。交渉に際しては「陳情ではなく、提言です」という態度で臨みました。2年ほどかかりましたが、市側も「公害対策」として根本的に計画を見直すことになりました。最終的にマスタープランは変更され、大野川を埋め立てた後の3.8kmは、自転車・歩行者専用の緑地帯として整備されることになったのです。

しかし実際に完成するまでには、約10年かかりました。途中、石油ショック時代を経たこともありますが、一番問題だったのは行政の構造です。行政は縦割り組織のため、どうしても無駄やギャップが生じます。当時の道路課長が見せてくださった図面は、私たちの希望通りの緑地帯でした。ところが「ここは都市計画上は道路なので、どうしても緑地帯という名称にはできない。名称に『道路』をつけることを了承してくれ」と言われました。私たちにしてみれば、希望通りに整備されれば名称などどうでも良いのですが、行政上はそんな笑い話のような問題も出ます。

こうして大野川緑陰道路は1979年に完成しました。現在「西淀川区民が自慢できるもの」のNo.1に選ばれています。私たちの運動は、結果的に区民にも行政にも評価していただけるものになったのです。

 

●矢倉海岸緑地計画

緑陰道路が完成した頃から、今度は緑陰道路の延長線上にある大阪湾を臨む土地を区民の憩いの場にする提案を行うことにしました。ちようど工業地帯に海岸線を占領されていた高砂市で、「海辺は本来、市民のもの」という入り浜権宣言が出された頃でした。私たちはこの運動と連動して提案活動を進める一方、和歌山県天神崎の磯の保護運動の方々とも交流しました。

神崎川と淀川に挟まれた臨海地は、現在の地図上では西島2丁目という区域です。しかし古い地図によって、矢倉九右衛門の新田開発で、一時は矢倉町と呼ばれていたことがわかりました。そこで私たちは、ここを矢倉海岸と名付け、運動の名称も「西淀川区民の海岸造り推進会議」に変えました。

この矢倉海岸の埋め立ては、周囲を蛇籠で囲って埋め立てただけの状態でした。整備をするなら、コンクリート護岸ではなく、自然の海岸として区民の憩いの場にしたい。提案活動は自然にそうした方向へまとまっていきました。

しかし、この私たちの運動が実際の整備に結びつくまでに約20年かかりました。大野川緑陰道路の場合と同様に、ここにも行政の縦割り構造の影響があったのです。

当初この臨海地は、台風による堤防の決壊や工業用水の汲み上げによる地盤沈下によって、水没している状態でしたが、登記簿上は所有者がいました。大阪市は、廃棄だけをさせてもらい、廃棄物によって埋め立てられた土地は所有者のものとなるはずでした。ところが私たちの運動を応援してくれていた弁護士から「水没していたところを埋め立てると、埋め立てた人の所有になる。したがってあの土地は大阪市の所有だ」という見解が出ました。当時は同じような問題が、日本各地で起こったのですが、「古い所有権があっても、水の中にあるものは、土地とは言えない」とする建設省、「土地であるからには固定資産税をかけなければいけない」とする自治省や法務局など、各行政機関でもこのような土地に対する意見が分かれていました。私たちは何度も市や東京の省庁まで足を運びましたが、調整にはずいぶん時間がかかりました。最終的に、最高裁で「回復できる土地は、所有権がある。そういう場を行政が使うなら、買い取るべきだ」という判決が出て、ようやく1991年に大阪市が買収することになりました。

一方、建設省の計画上では、河口の先端まで淀川河川敷公園の計画があります。いずれはそれが完成し、矢倉海岸へのアクセスに利用できると思っていたのですが、近畿地方建設局側の説明は「計画はあるが、現在のところ事業化される予定はない。しかし計画をしておかないと、他の省庁の計画が入ってしまう」というものでした。ここにも縦割り組織の弊害があります。

結局、三筆に分かれていた矢倉海岸の先端の2.4haは公園緑地として整備されることになりました。また現在、東淀川区から大野川緑陰道路の下を通って、淀の放水路が整備されています。最終的に矢倉海岸の貯水池で放水することになり、公園緑地以外の部分はその貯水池および浄水施設にして、覆土した後に公園化する計画になりました。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION