ただし、この点に関しては中心市街地の小売商店なら郊外型大規模店と比較して広域から人を集める効果があるかどうかは一概にいえず、ポテンシャルの問題である(中心部にある地方百貨店はそれなりに地域の文化・伝統を担っているという意識はあるようである)。
2]過去において広い後背圏を有することによって、多くの人々に対するサービスエリアとして、資本投下が行われてきた地域である。過去の投下資本を無駄にすることはできない。ただし、中心市街地にふさわしい地域の条件は、交通インフラなどの社会条件によって異なってくる可能性がある。すなわち、鉄道の時代に形成された中心市街地を車の時代にも中心市街地として位置づけることができるかどうかが検討される必要がある。現在の中心市街地の抱える問題に対しては、駅前・狭隘除という過去の経緯に規定されてきた地域条件を無理に車主体という時代の環境にあわせようとすることによって、駐車場の整備が課題となってきている。そして、駐車場の少なさが前面に出過ぎたために、個々の商業者の経営努力不足が隠れてしまい、対応が遅れてしまった可能性がある。今では、駐車場があっても、消費者が帰ってくるかどうかはわからなくなってしまっている(例えば、伊勢崎市には駐車場や空地が少なくはない。駐車場整備というハードな施設整備から、商業者の経営努力に課題の重点が移ってきている)。単に、過去の投資を無駄にしないためということだけでは投資の効率という点で問題を残す可能性があろう。
3]経済機能が集中的に立地することによって、交流人口を吸引する場としての役割を果たすなど、新規の事業を生み出す苗床の機能を有している。経済活動が効率的に行われる場としての特徴を有している。すなわち、郊外型のショッピングセンターでは複合的な需要が存在しないことから新規の事業が生じてくるイメージはない。むしろ店舗効率の観点から設定されるテナント料の水準からみれば、地元業者が入店し新規の事業機会を発見することが困難な状況にあると言わざるを得ない。ただし、中心市街地がどの程度新規事業を生み出してきたかどうかが問われてくるため、これを実現することを促進するような条件づくリ―例えば、チャレンジショップを出したいという人に対してどう支援するか―とセットで論じられる必要があろう。
4]中心市街地は、従来は、複合的なサービス業務集積を有することによって、まとまったサービスを提供できる地域であった。しかし、この地域を空洞化するに任せれば、地域に滞留している人々、とくに弱者としての高齢者の生活基盤が崩壊する可能性がある。このような状況に対しては、高齢化社会における福祉の問題として中心市街地を位置づけておくことも必要になってこよう。例えば、松江市においては市域全体平均の高齢化比率(平成10年4月)17.3%に対して市街地4区平均では21.8%と4.5%高く、とくに橋南第2地区では25.5%と8.2%も上回っており(後述する県内の事例都市においても全く同様の傾向を示している)、中心市街地での高齢化の進展の状況が伺われる。ただし、中心部の生活環境の悪化に対処する必要があるにしても、高度な都市機能が集中し、広域から人が集まる中心市街地ではなく居住者の日常生活を支える近隣商店街があればよいという見方もありえよう。
5]都市化という右肩上がりの社会背景は終焉を迎え、今後はコンパクトな街づくりに向かう必要がある。しかも、生活の場、交流の場としてはコンパクトな都市の方が有利である。ただし、この点に関してはこれまで、良好な生活環境づくりを目指して郊外居住の基盤づくりを延々と進めてきたのであり、その郊外居住地において生活上の諸ニーズを完結させるという当然の要請に応えることに重点を置いた事業をどう見直すかが課題となる。あわせて、2]との関係からすればコンパクトな都市が中心市街地である必然性はあるかどうかが検討される必要があろう。