TMOは株主最優先であり、行政の持つ平等性の制約を離れて(平等では誰も救えない)、こういう人の努力に対して、重点的に支援を行うことが可能になる(モデル商店街として位置づけることができる)。このことがTMOの特徴である。そこでは、途中の平等性による公益性をいわない。全体として発展させるという結果が最終的に公益性につながると考えている。
イ 公益施設の郊外移転に伴う影響の事例
鹿児島市
鹿児島市は島津77万石の城下町で、現在は人口55万人を擁する南九州の中心都市である。市内北部に位置する上町地区には県庁、市役所、国の合同庁舎、国立病院などの官公署、鹿児島駅、鹿児島港などを抱え、昔からの商店街もあり、鹿児島市発祥の地として栄えてきた。上町地区には店舗が約800店あり、商業形態としては官公署を相手にするもの、船から下りたものを相手にするもの、また洋服、青果、鮮魚など卸を行うものなど様々である。いずれも商店主の高齢化は進み、後継者がいない、もしくは継がせたくないとするところが多い。したがって、新たな資本投下など考えることなく旧態依然とした経営が多く見受けられる。空き店舗は60店舗ある。
この地区の商店街は昭和30〜40年代にかけて平日の昼間でも道行く人の肩が触れ合うほどの賑わいで、九州でも1、2位を争う商店街であった。そのころの儲けと意識が残ったままの商売の仕方である。土地も家(店)も自分のものなので店賃の心配もなく、自分が食べていける範囲の収入があればよいということのようだ。
市南部に当たる鴨池地域への県庁移転の話が持ち上がったのは10年ほど前からであり、それまでの間に新県庁の方へ移転する人はしている。この地区では平成3年に再開発計画を策定したが、広い地域を更地にして高層ビルを建てる構想など、少々無理があり、絵に描いた餅で終わってしまった。したがって、県庁移転後の方向性を考えた「鹿児島市上町地区商店街活性化計画」では地元商店主、若手経営者、消費者とも懇談会を重ね、地元の意見、意向などを取り入れ、実現可能なものを策定した。計画では、観光史跡や鹿児島港、水族館との回遊を図る取り組み、イベントの実施から個店の魅力拡大、卸売り形態から小売への脱皮、接客態度に至るまで示している。
平成8年11月に県庁が移転し、直後の平成8年12月での調査において、移転に伴う売り上げへの影響は41.9%の人が「ある」としている。主に小売・飲食業が影響を受けたとしている。売上額に占める割合は10〜30%未満が42.3%で一番多く、50%以上とするものも18.5%いた。また、平成9年6月〜8月の調査において、空き店舗の原因が県庁移転に起因するもの(閉鎖、移転)が7店(11.7%)であった。
また、賑わいという観点からみると、県庁の職員は歩いて鹿児島駅から向かうことが多く、その人の流れがなくなったため、鹿児島駅から県庁方面へ向かう人通りが、実感としては3分の1に減ったという。また、旧県庁の一帯が夜は真っ暗になり、まちとしてのイメージが悪化(寂れた印象)したとするものもある。
県庁のほかに、上町地区で20年間のうちに移転したものは、以下のような施設がある。
・鹿児島大学医学部病院(昭和40年代)→郊外移転(国立病院が跡地に移転)
・鹿児島本港(貨物、離島航路)→鹿児島新港(ただし近年中に本港へ再移転予定)
新たに水族館がオープン(平成9年)
・鹿児島駅(終着駅機能昭和40年代)→西鹿児島駅
・県庁、自治会館(宿泊施設)、県警本部、県農協連→郊外(平成8年)