彦根市
彦根市は、人口約10万6,000人、世帯数約3万6,000世帯(平成10年4月現在)で、滋賀県では大津市、草津市に続いて3番目の人口規模を持っている。歴史的には江戸時代は井伊家30万石の城下町として栄え、湖東の中心都市としての誇りを持っている。産業は、戦前から繊維・紡績工場が立地し、地場産業としてはバルブ、仏壇などが有名である。商業は、卸売業、小売業をあわせた商店数は1,647店、年間販売額は3,166億円(平成9年)で県下第2位である。
彦根市は湖北、湖東の中心であり、その商業集積は滋賀県の東から北にかけての半分を商圏としていた。琵琶湖の向こう側からも船で来たくらいのものだといわれていた。しかし、現在の彦根市では周辺地域に大型店が進出し(第1種大規模小売店舗は平成10年11月現在8店)、以前は商圏としていた湖北地域(滋賀県北郡)は大型ショッピングセンターと長浜市に、また、彦根市の西側は近江八幡市の勢いが強くなってきた。この状況の下では、商店数などは昔の大きな商圏を有していたままの商店街になっており、現在の商圏から考えると商店が多すぎるということになる。
彦根市内でも地価の安い西部に都市開発が進み、市としてもとくに10年ほど前からJR南彦根駅前に公共施設と商業の集積を図ってきた。そこには、新興住宅地と市施設、京滋地区最大のショッピングセンターを誘致した(平成7年・ビバシティ彦根、売り場面積3万3,000m2)。それは、中心街には用地がなく、車社会に対応できないという当時の事情がある。また、中心街のある北部より新興の南部地区の人口が多くなった。これがもう1つの拠点ということになり、中心街の客離れを加速させた側面はある。また悪いことに中心街の商店主のやる気のある人をショッピングセンターに支店を出してもらった。そうすると中心街の店は閉めてしまうという動きがあった。
他方、中心市街地では地元商店主が中心になって「夢京橋キャッスルロード」の整備が進められた。これは彦根城の南側、中堀に架かる京橋から続く通り(全長35m)で、本町地区の県道拡幅に伴い街並みを再生しようというものである。幅員を6mから18mに広げ、街路樹を植え替え、電線を地中化し、ポケットパークなどを整備した。はじめから観光客を狙ったわけではなく、歴史的な街並みを再生したいという住民からの意見もあり、住民らと協議を重ね、平成6年に完成、平成7年には「全国街路事業コンクール会長賞」なども受けた。ただ、今となっては拡幅したおかげで、幅員が広がり、両側の店舗が離れ、店をみて歩くには都合が悪いという声も聞くが、はじめの経緯が県道の拡幅なので、やむを得ないといえよう。
こうした取組のおかげで、彦根城に来た観光客などが周遊し、賑わいをみせている。そして、他の地域の商店主には「夢京橋キャッスルロード」に刺激を受けた人もいるが、多くは無関心といってよい。「夢京橋キャッスルロード」は県道の拡幅のため、移転補償費などでほとんどまかなわれ、自分たちが新たな金を出したわけではない。近隣商店街の人はそのことはよく知っており、自分たちも金を出さずに「夢京橋キャッスルロード」のようにやってくれるのなら賛成だという。金を出すならいやだということのようである。ただ、近隣商店街との周遊を考えないとせっかく観光客が集まる「夢京橋キャッスルロード」も飽きられてしまい、また寂れてしまう可能性がある。
活性化事業の対象となる中心市街地は、彦根城の東側、本町、銀座通りなど約10ha、7商店街、300軒の商店を範囲とする予定である。駅前などは対象としていない。今回の活性化事業で対象とするところは、今まで区画整理などの事業を行ったことがないところが主である。
今回事業対象となる商店街は「夢京橋キャッスルロード」に隣接しているところもあり、周遊の方法がないかを検討している.再生化の方策としては小規模開発を考え、商店をいくつか集め、あいたところにポケットパークや広場などをつくる方法である。これから区画整理組合を設立する。