したがって、レンナーが挙げている内容は、狭義の文化的自治を超越することになる。例えば、各民族は、国家レヴェルにおいて独自の文化議会を設立し、その議会が文化的事項に関して排他的な立法権を与えられる。また、各地域の地方政府の長は、文化的事項に関しては各民族の代表に諮問することが求められ、その際に、各民族は文化的事項の決定について拒否権を認められるのである。さらに、国家レヴェルにおいて、各民族は、民族省を有し、民族省は、当該民族以外の非管轄事項についても、検査する権限や拒否権を与えられる。
レンナーの提言の内容は、それにとどまらず、高級・中級官僚任命に関する比例制の導入も含まれている。その上に、国家の公用語が廃止されるように求めている。すなわち、国家レヴェルで使用される行政用語は、純粋な技術・行政的理由において選択される、単なるコミュニケーションの手段であると位置づけられるのである。
こうした内容を求めるレンナーの本意は、民族的な分裂を可能な限り脱政治化することによって、民族間の緊張を一掃しようとするものであった。
(2) 文化的自治の問題点
文化的自治の導入による民族間関係の安定化の試みは、国家レヴェルでの完全な導入を経験していないために、現実における限界もまた必ずしも明らかではない。しかし、それでも、次のような問題点が、浮かび上がってくるであろう。
ア 個人的原理の限界
レンナーの体系においては、領域的次元に対する、個人的原理、メンバーシップの次元の優越性が明らかである。しかし、現実の国家において、完全に個人的原理のみで対処し得る問題が存在するであろうか。近代国家の要件の1つは、その領域性である。したがって、国家の営みのあらゆる側面において、領域性が間接的・直接的に関連してくるのである。レンナーも、領域的次元に関連する最低限の事項は、国家に留保させている。その上に、多民族国家においては、同一地域に居住する人々が、それぞれ自民族による国家大の組織に所属することになり、同一地域において、領域的次元の事項を管轄する機関に加えて、文化的自治を管轄する複数の組織が共存する結果になるのである。そこから必然的に導かれる制度的な複雑性は、国家行政に対する多大な負担となるであろう。