4 多民族性を維持する方策(2):連邦制 Federation
連邦制は、多くの多民族国家において採用されてきた。アメリカ合衆国やカナダのような「移民国家」、さらに多様な民族が歴史的に定住してきたヨーロッパでも、ソ連、チェコスロヴァキア、ユーゴスラヴィア、あるいは、連邦制の一種であるカントン制を採用しているスイスなど、数多くの多民族国家が連邦制であった。しかし、旧ソ連・東欧地域における連邦国家の多くは、解体してしまった。また、新ユーゴスラヴィアでも、連邦を構成するセルビアとモンテネグロとの間での軋轢がしばしば報道されており、ロシア連邦も深刻な民族問題を抱えている。
(1) 連邦制と分離独立
本来、連邦制が、その根幹に有している特徴の1つは、連邦(中央政府)と構成単位(地方政府)との対等性であり、両者間には優劣関係がなく、構成単位が主権と自治を有するという点である(岩崎、91-92頁)。こうした連邦と構成単位との対等性が貫徹されない連邦制は、「連邦主義なき連邦制」や「疑似連邦制」として分類されることもある。その点で、政策決定の実質的中心としての共産党が連邦化されていなかったチェコスロヴァキアや、憲法規定を通じて連邦制の各構成単位への優越性が窺われるソ連は、本来の連邦制とは区別される必要があろう(1)。
対等性の問題が、最も劇的に表面化するのが、分離独立を巡って、連邦と構成単位が対立した場合である。主権を有する限り、構成単位が、連邦からの分離独立を望むならば、連邦はそれを制度的に認めざるを得ないはずである。かつてユーゴスラヴィアでは、度重なる憲法改正を通じて、各共和国への分権化が進み、1974年の憲法では、共和国の経済主権までもが認められたのである。こうした1974年憲法体制による連邦制は、連邦制の「国家連合化」あるいは「多中心的連邦主義」と表現される程であった(Cohen,p.27)。しかし、1991年6月に分離独立を決定したスロヴェニアやクロアチアの両共和国に対して、連邦は軍隊の侵撃で応じたのであった。