程度こそジェノサイドほど過激ではないとしても、同じように「排斥」に含まれるものとしては、国内からの強制退去や住民交換が挙げられる。東欧では、第1次世界大戦後に、ブルガリア、ギリシャ、トルコの間で大規模な住民交換が行われた。また、ボスニア内戦でみられた「民族浄化ethnic cleasing」も、排斥の一種として考えることができよう。次に、「同化」とは、少数民族に対して自身のアイデンティティの放棄と多数派民族のアイデンティティの受容を要求し、長期的に少数民族の消滅ethnocideを図るものである。東欧では、19世紀のハンガリーにおいて各少数民族に対して展開されたマジャール化、同じく19世紀のオーストリア領ポーランドにおいてウクライナ人に実施されたポーランド化、帝政ロシア領におけるロシア化、さらに戦間期ルーマニアのトランシルヴァニアのマジャール人に対して行われたルーマニア化などが、同化の代表例として挙げられる。
現代において、こうした多民族性を除去する方策が、排斥、同化のいずれも、少数民族の集団的権利を侵害するとして承認され得ないことは当然である。そして、また歴史が証明する通りに、どちらの方策を採用したとしても、多民族性の除去という目標達成には、最終的には失敗したのである。さらに、そうした方法は、そもそも自治という形態に馴染まない。したがって、多民族性を前提として維持しつつ、多民族性に伴う諸問題に対処する方法を考案する必要があるのである。
3 多民族性を維持する方策(1):覇権的コントロール Hegemonic Control
多民族性を維持する方策として、マガリーとオリーリーによれば、覇権的コントロール、第3者介入による仲裁、連邦制、多極共存があるという(McGarry&O'Leary,eds.,p.4)。また、近年、注目されている方策として、文化的自治がある。このうちで、仲裁は、内部的仲裁と外部的仲裁に分けることができるが、内部的仲裁は、他の方策と重複する部分が多く、また外部的仲裁は、国外のアクターを措定しているために、そもそも一国内の自治の長期的維持には馴染まないであろう。本稿では、その他の4つの方策、覇権的コントロール、連邦制、多極共存、そして文化的自治の順に、その特徴や問題点を考察することにしたい。
(1) 覇権的コントロールによる中心的民族の支配
覇権的コントロールは、多民族国家において歴史的に最も広範にかつ長期にわたって採用されてきた方策である。覇権的コントロールの根幹は、中心的な民族による少数民族の支配と一言で表現することができる。
覇権的コントロールの内容は、ケースによって多様である。最も厳しい支配の形態は、中心的な民族が国家機関を通じて他の民族に対して行う物理的抑圧である。