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イ 社会主義体制の時代

 

戦後、共産党政権は1934年のクーデタ、それに続く国王独裁体制期に用いられた「オブラスト(県)」という呼称を破棄し、再度「オクラク(旧県)」が行政単位を表すものとして採用された。人民による統治は実質的には上部機関の下部機関に対する徹底した指導・監督にほかならなかったが、少なくとも初期においては基礎自治体数の大幅な増加が見られた。1949年の時点で旧県(14)―郡(100)―基礎自治体(2,178)という数字が上がっている。

農業集団化、大規模化を目的として勤労協同組合農場が設立されたのにともない、1959年には基礎自治体の統合拡大が行われた。また、基礎自治体が拡大したことで郡の存在意義が薄れたとして、同年人民評議会法が改正され郡が廃止された。この結果、行政単位は2層構造となった。旧県(27)―基礎自治体(972)と基礎自治体数は再び減少した(当初、この旧県にはソフィア、プロヴディフ、ヴァルナの3都市も旧県の格として含まれていた。)。

この後、1978年の人民評議会法改正によって基礎自治体の下位にクメトストヴォ(構成区)が設置された。このレベルにも人民評議会と執行委員会が設けられたが、上部機関による指導・監督原則には変化はなかった。ただし、基礎自治体の統合によって地域住民から乖離する傾向のあった地方行政サービスを構成区の設置で補う意図があったとも主張されている。

1987年には、旧県の名称を廃止し県を復活させるとともに、中央政府と基礎自治体の間に位置する行政区分を再度、統合した。その結果、県の数は首都ソフィアも含めて9団体となった。体制転換後も県―基礎自治体の2層構造は存続され、基礎自治体の数は200台半ばから後半となっている。

 

3 現在の地方制度の概要

 

地方制度においてはオブラスト(県)、オプシティナ(基礎自治体)が基本的な行政・地域単位であり、基礎自治体を構成する行政・地域単位としてライオン(区)、クメトストヴォ(構成区)が設置されている。

 

(1) 中央政府

 

中央省庁の中で地方自治・地方行政を担当しているのは地域開発公共事業省である。戦前は内務省の中に基礎自治体担当の部局が設置されており、1934年のクーデタ後はとりわけその直接的な監督が強まったが、社会主義時代に地域開発政策との関連から行政区分などについては同省が担当することになり現在に至っている。

 

 

 

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