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ここ数年間の政治の推移を概観すれば、初の非共産系内閣だった民主勢力同盟のディミトロフ内閣が推進した急進的経済改革は、協力関係にあった「権利と自由のための運動」の離反を招いた。後継のベロフ内閣は経済改革を漸進的なものに転換したが、それは実質的に議会内の最大支持勢力だった社会党の方針に沿うものだった。1994年秋ベロフが健康状態を理由に辞職し同年12月には国民議会選挙が実施されるが、新政権誕生までの短期間、しかも選挙管理内閣ではあったが、インジョヴァが首相を務めた。ブルガリア史上初めての女性の首相だった。同選挙で社会党はソフィア、プロヴディフの大都市部などを除いて安定した強さを発揮し過半数(125)を獲得して政権に復帰し、以下民主勢力同盟(69)、国民同盟(農民同盟と民主党の選挙連合)(18)、「権利と自由のための運動」(15)、「ブルガリア・ビジネス・ブロック」(13)という議席配分となった。首相には社会党党首のヴィデノフが選ばれた。社会党は、翌1995年の地方選挙でも勝利したが、経済改革の遅れや農業不振のため政権批判は強まっていった。

1996年経済危機が深刻化するなか実施された大統領選挙では、民主勢力同盟のストヤノフが勝利し、1997年初頭、全国的に社会党政権への抗議行動が展開され野党支持の労組などが中心となり主要交通網は封鎖されストライキが実施された。ヴィデノフ内閣は総辞職し、ソフィア市長のソフィアンスキ(民主勢力同盟)を首班とする選挙管理内閣が組閣された。4月に実施された国民議会選挙では民主勢力同盟が単独過半数(137)を獲得、第一党に立ち、以下社会党(58)、救国同盟(「権利と自由のための運動」が中心)(19)、「ユーロ左翼」(14)、「ブルガリア・ビジネス・ブロック」(12)が議席を得た。現在首相は1990年代初めに蔵相を務めた民主勢力同盟議長のコストフである。経済改革のさらなる推進とEU(欧州連合)やNATO(北大西洋条約機構)加盟を志向している。

 

2 近代ブルガリアにおける地方制度の変遷

 

ここでは19世紀後半から「東欧革命」までのブルガリアの地方制度の変遷を、以下の2点に注目しながら概観する。

第1点は、オプシティナ(基礎自治体)の役割や権限の変化、あるいは、基礎自治体の議会や執行機関の選出方法(選挙制/任命制)の変化に注意しながら概観するものである。

第2点は、地方自治、地方行政とその地域区分に関する法の改正などにともなう地方行政単位の階層とその数の変化を中心に概観するものである。

 

 

 

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