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第1点は、全人口の約8割がブルガリア人意識を表明しているこの国においても、全国的規模で宗教、言語など多様な文化的背景をもった住民の混住状況が見られること。第2点は、国内のいくつかの地域では非ブルガリア系のエスニックマイノリティー(少数民族)がとくに集中して居住していることである。ギリシア、トルコ国境に近いブルガリア南部のロドピ地方のトルコ系住民、イスラム系住民(このグループにはブルガリア語を母語とし、ムスリムすなわちイスラム教徒という人々も含まれる)が集中して住んでいる地域、北東部のトルコ系住民の集中地域がそれである。

1991年に制定されたブルガリア共和国憲法は、分離さらには独立への可能性を開く「自治的地域形成」を、つまり、自治州の設置を認めていない(ここでの「自治」とは、au-tonomyを意味する「アフトノミヤ」の派生語を用語として使い、一方、地方自治という場合の「自治」はself-governmentを意味する「サモウプラヴレニエ」という用語を使っている)。

 

(3) 東欧革命以後のブルガリア

 

ブルガリア共和国においては、地方制度を含め現在の政治、行政の制度的枠組みの多くは、1989年11月、当時の権力者だったジフコフの失脚から1991年の新憲法の採択までの時期に整えられた。それは1990年初頭の円卓会議(当時の共産党と野党勢力の民主勢力同盟などが参加した)や1990-1991年の制憲議会での議論を土台としたもので、複数政党の政治参加を認める多元的民主主義をめざしたものである。戦前解散させられた伝統政党が復活し、新しいフォーラム型政治組織(反体制運動、環境運動、人権擁護運動、独立労組などの社会運動組織からなる緩やかな連合体)が誕生した。また国家元首として新たに大統領制も導入(当初、国民議会による選出だったが、国民による直接選挙となっている)された。

こうした新たな枠組みは、例えば、国家安全保障や外交面での大統領権限の不明確さ、分離主義傾向の強い地域政党や宗教・民族(エトノス)を基盤とする政党を禁ずる政党法の存在(すなわち、ブルガリア共和国では地域政党や少数民族政党は存在を認められていない)などの問題点も多い。

1990年以降、ブルガリアでは国政レベルの選挙が4回(国民議会1991、1994、1997年、制憲議会である「大国民議会」1990年)、地方選挙が2回(1991、1995年)、大統領選挙が2回(1992、1996年)実施されている。国政選挙は小選挙区制と比例代表制の併用方式だった1990年の制憲議会選挙を除けば、4%条項(選挙参加政党は4%以上の得票率をあげないと議席を獲得できない)を含む比例代表制で行われ、民主勢力同盟、社会党(旧共産党)、「権利と自由のための運動」の3党派が主要な政治勢力となっている。

 

 

 

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