ましてや排出権売買などを自らの地域内で行うことは考えにくい。経済主体の権益に著しい影響を与える排出権売買制度を、自治体アクターが設定できる法的な根拠を見い出すことは難しいであろう。もちろん気候変動枠組条約で排出権売買制度が設立されれば、一アクターとして売買に参加できるであろう。しかしそれは積み上げ型の施策を意味するものではない。
従って、環境基本条例で多くの自治体が経済的手法の可能性に言及しているが、現在のレジームのもとでは、自治体アクターのとりうる経済的手法と言えば、従来型の補助金的手法しかないと言っても言い過ぎではないのである。
これは皮肉なことである。過去の公害政策を見るとき、自治体アクターの果たしてきた役割を無視できないのは明らかである。温暖化防止対策でも、自治体アクターの積極的役割が期待されている。しかし実際は自治体の手足は、縛られたままなのである。もちろん自治体アクターが勝手に何でもかんでも経済的手法を採ればよいと言っている訳ではない。ここで言いたいのは、積み上げ型の施策を自治体が行おうとしても、フリーハンドの可能性として残されている手法は極めて小さいということなのである。
リーケージ問題
地球温暖化対策でよく問題にされることの一つにリーケージ問題がある。一つの国で炭素税などの手法を導入しても、炭素排出の多い企業は炭素税などのない国に流失することによって、炭素税導入の効果が薄れてしまうかも知れない。こうして炭素リーケージを起こさせないためには、各国の協力が必要な訳である。
これと同じリーケージは自治体にもあてはまる。ある自治体が温暖化防止対策を強力に押し進めても、他の自治体が温暖化防止対策に無関心ならば、二酸化炭素排出企業は、より排出規制の緩い自治体に逃げるかも知れない。二酸化炭素ヘイブン(CO2 Haven、二酸化炭素逃避地)とも言うべき自治体ができるであろうか。
筆者は、このリーケージの議論に若干懐疑的である。もちろん規制や経済的負担を過大にし過ぎるとリーケージの問題が起きる。しかし多少の規制や経済的負担をかけてもそうしたことが必ず起きるとは言えない。