新規参入会社を利用する旅客は多く、最初は順風満帆に見えた。しかし、1981年8月航空管制官の組合(PATCO)がストライキに突入した。レーガン大統領は「職場への復帰か、解雇か」の2者択一を迫り、管制官の多くは解雇を選んだため、大量の管制官が解雇され、アメリカの航空管制システムは深刻な人手不足になった。
低運賃とシャトル運航を売り物にしていた新規参入業者は、管制官ストとその後遺症によりシャトル運航が困難になったことで市場から撤退していった(発着枠の多い大手への影響力は相対的に小さかった)。
さらに、大手業者の中にも競争に耐えきれず、パンアメリカン、イースタンなど倒産する会社が生じた。新規参入の増加により、既存事業者のシェアは低下すると予想されたが、実際は寡占化が進行した。