(1) 前史と目的
この姉妹都市提携協定の締結には歴史的背景がある。太平洋戦争中の昭和19年9月に、「学童集団疎開準備に関する要項」(昭和19年7月19日付)に基づき、沖縄・宜野湾町の3つの国民学校の児童86名が、引率教諭3名および寮母・寮員3名と共に、東郷町の2つの国民学校に学童疎開してきた。その後1年足らずで終戦となり、さらに1年を経た昭和21年9月に、全員無事に宜野湾町に帰郷した。
その後、昭和46年に、東郷町の坪谷国民学校に学童疎開していた人たちの有志が、20年振りで来町を果たしている。また、昭和56年には坪谷小学校の校庭に学童疎開の記念碑が建立された。
こうした歴史的背景の下に、両市町の交流の気運が高まり、59年には東郷町長および町議会議長が宜野湾市を訪問、協定締結の動きが早まり、60年4月の協定の調印となった。
そして、これに基づき、次代を担う児童たちが相互に交流することにより人的絆を強めるとともに、見聞を広め、心豊かで実践力のある青少年の育成を図ることを目的として、児童の交流事業が始められたのである。
(2) 実績と内容
交流の実績を表5に示す。昭和62年〜平成元年7月までは半年の間隔で交互に派遣し合っていたが、それ以降は隔年で交互に派遣する形式となっている。期間は3泊4日。対象は小学5・6年生。派遣児童数は14名。平成10年の第7回までの派遣児童数累計は、東郷町から88名、宜野湾市から98名となっている。