第1章 課題と目的
過疎地域において、地域の活性化を図る方策として、「交流」が大きくとりあげられたのは、昭和60年代に入ってからである。
地域活性化センターの平成3年調査によれば、その時点で、何らかの形で、地域間交流を行っている団体は、全市町村のおよそ半数の1,670市町村、1市町村で複数の交流事業を行っているところがあるところから事業数は約3,100となっているが、それらの事業開始年度は、
昭和20年代 4(0.1%)
昭和30年代 21(0.7%)
昭和40年代 162(5.3%)
昭和50年代 578(18.8%)
昭和60年〜平成3年2,308(75.1%)
という調査結果がでている。これは、調査当時行われている地域間交流事業についての事業開始年度を問うたものについての調査結果であるから、これをそのまま地域間交流事業の消長を示すものとしてとることはできないが、市町村において、地域間交流が、昭和60年代以降、普遍的に意識されるようになってきたことのひとつのあらわれを示すものである。
過疎地域問題調査会は、昭和56年度に、安達生恒氏を委員長に「過疎地域と都市との交流事業の実態とその推進方策に関する調査研究」を行い(日本船舶振興会補助事業)、20ほどの交流事業の実態報告をまとめるとともに、交流の類型化、交流事業の推進方策について調査研究、提言したことがある。
その調査研究では、過疎地域の要求・期待としては、
1) 環境活用型、2) 地域経済振興型、3) 化・人間・社会づくり型の3つに括られ、都市の側の要求・期待としては、
A)レクリエーション活動型、B)教育活動型、C)経済活動型、D)創作活動型、E) A)〜D)の複合の5つとし、
そのマトリックスで類型化を試みている。
そして、過疎地域対策として交流を考えるならば、イクォールパートナーであることが特に重要だとするとともに、適当な段階で、行政主導を住民主導にかえることが必要だとしている。
「産直・提携運動」が質的に最も高い交流(同報告書)とされていた時代のものであり、今、読み返してみると、先駆的なものではあるが、時代のちがいも感じさせる。