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「リエンツィ」上演史

歴史の試練を経て現在(いま)―

 

寺倉正太郎

 

1906年、 リンツの歌劇場で「リエンツィ」の上演に接して強い印象を与えられた17歳の若者がいた。その若者の名はアドルフ・ヒトラー。ヒトラーのリンツ時代からの友人でのちに指揮者となったアウグスト・クビツェクの回想によれば、観劇後興奮したヒトラーは自分と祖国の進むべき道について熱っぽく語ったという。そして第三帝国の指導者として1939年にクビツェクと再会したヒトラーは「あの時がすべての始まりだった」と告白した。

ワーグナーのスケールの大きな初期作品「リエンツィ」は上演の困難さにも関わらず、あるいはそれ故にウィーンやミュンヘン、ワイマールなどの歌劇場でグスタフ・マーラー、リヒャルト・シュトラウス、フェリックス・モットル、ブルーノ・ワルター、クレメンス・クラウス、ハンス・クナッパーツブッシュといった名指揮者たちに競って取り上げられていたが、ナチス・ドイツの時代に入ってその上演頻度は最高潮を迎えることになる。

第二次世界大戦後、ナチス・ドイツに同伴させられすぎた作品として「リエンツィ」の上演はタブー視されるようになるが、戦後の復興期のなか、社会が落ちついてくると「リエンツィ」を復権させる試みが現れてくる。その中でいくつか代表的なものを挙げよう。

リヒャルト・ワーグナーの孫で、ヒトラーとの関係を清算するべく戦後のバイロイト音楽祭を弟のヴォルフガングとともに担ったディーラント・ワーグナーは、1957年にロプロ・フォン・マタチッチの指揮、タイトルロールに戦後を代表するヘルデン・テノールであるヴォルフガング・ヴィントガッセンを迎えてシュトゥットガルトで「リエンツィ」を演出した。ヴィーラントはバイロイト音楽祭でも「リエンツィ」を上演する計画を持っていたが、彼の早すぎる死によって、バイロイト音楽祭での「リエンツィ」の上演は今日まで実現をみていない。

1964年には、演出のヘルベルト・グラーフ、指揮のヘルマン・シェルヘンという、ともにナチス時代にはドイツからの亡命を余儀なくされたふたりが、イタリア・オペラ界の大スターであるジュゼッペ・ディ・ステファノをタイトルロールに得て、ミラノ・スカラ座で「リエンツィ」を上演した。

ワーグナーと縁の深いミュンヘンでは1967年のオペラ祭で、ハインツ・アーノルドの演出、フリッツ・リーガーの指揮で「リエンツィ」は復活した。

ヴィースバーデンで1979年に、ヴィーラント・ワーグナーの助手を務めていたハンス・ベーター・レーマンの演出、ジークフリート・ケーラーの指揮で上演された舞台は、視覚面での徹底した現代化が施されて議論をよび、ドイツ第二放送によってテレビ放映もされている。

1983年のリヒャルト・ワーグナー没後100周年に際しては、ロンドンのイングリッシュ・ナショナル・オペラにおいて、後に「ミス・サイゴン」などのヒット・ミュージカルの演出家として我が国でも知られるニコラス・ハイトナーの演出、ヘリベルト・エッサーの指揮で英語上演も敢行されている。

同年のミュンヘン・オペラ祭ではワーグナーの全オペラ作品の上演が行われたが、「リエンツィ」はそのなかでも目玉のひとつとして、ハンス・リーツァウ演出、ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮で、主演にルネ・コロを配して新演出された。このときのライヴ録音はCDにもなっている。

そして最近、ベルリンの壁が崩れドイツの再統一が実現するという歴史のうねりのあとで、注目すべき新演出がベルリンとウィーンというドイツ文化圏の二大メトロポールで相次いで実現した。双方ともレーマン演出の現代化路線の延長線上にあるが、時代の変化に対応してそれぞれ特徴をもった舞台になっている。

1992年にコーミッシュ・オパー・ベルリンで新演出されたクリスティーネ・ミーリツ演出による「リエンツィ」(指揮:ラインハルト・シュヴァルツ)は、現代化された舞台であると同時に、リエンツィが権力を掌握した場面で取り巻きたちが「統一条約」を振りかざすなど、時と場所に相応しいアクチェアリティが付加されていた。「リエンツィ」が作品として本来持ち合わせている「報復と暴力の悪循環」と「煽動されやすい群衆」に対するアイロニーが、再統一後の東西ドイツと冷戦後の世界の諸問題にオーヴァーラップされた歴史となったドイツ民主主義共和国の負の側面を呼び覚ますシーンも多いことから賛否は分かれたが、現在「リエンツィ」をベルリンで上演することの意味と東ドイツ出身者の思いを痛切に感じさせる意欲的な舞台ではあった。タイトルロールに起用されたのはコーミッシュ・オパーの来日公演でもお馴染みのギュンター・ノイマン。声楽的にきつい場面も巧みな演技で補って貫禄をみせている。まだレパートリーとして上演は続けられているので実際の舞台を観ることも可能だ。

 

 

 

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