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第4幕:一つ一つの幕に長大きわまるフィナーレを配した前半に較べ、後半はきわめてコンパクトにまとめられている。栄光の頂点に立ったリエンツィが坂道を転げ落ちるがごとく破滅に向かう過程は、第4幕から第5幕にかけてのスピーディーな劇の展開によって裏打ちされている。こうした構造も幸いして、第4幕は作品中でも最も密度の濃い幕に仕上がった。仮面の男たちが闇のなかで交わす密やかな会話(11)では、短調で奏される行進曲風の曲想のあいだに差し挟まれる息の短い切迫した台詞が、人々の不安と疑念、次第にわだかまるリエンツィへの敵意を表出。ついでリエンツィが登場し、勝利の儀式のため教会に向う場面(12)では、本管楽器が彼の悠然たる歩みを描き出すが、長調でありながらも一抹の憂いを宿したその旋律は、落日の光を思わせる。そして、トロンボーンの脅すようなファンファーレに続いて、枢機卿がリエンツィに破門を宣告。ここまでの晴―明―暗の転変は、緊密な構成と変化に富む音楽によって描き尽くされている。忌わしき存在となったリエンツィを避けるべく人々が蜘の子を散らすように逃げていったあと、イレーネが兄に駆け寄る場面も印象的だ。「ローマこそわが花嫁」と見得を切って、世俗の結婚を拒んできたリエンツィにとって、肉親であるイレーネこそは唯一の心の支え。こうした兄妹愛の描写には、ワーグナーのよき理解者でありながら、その成功を見届けることなく、《リエンツィ》に着手した1837年に帰らぬ人となった長姉ロザーリエヘの思いが投影されている、と見ることもできよう。

 

第5幕:冒頭の(リエンツィの祈り)(13)は全曲中の音楽的頂点をなす。華やかで劇性に富んではいるものの、いささか外面的な大音響の洪水をこれまで聴き続けてきた耳にとって、静謐さと内面性がきわだつこの音楽は一服の清涼剤だ。理想にむかってひた走りながら道半ばにして倒れざるをえなかったこの人物の無念の思いは、このアリアのうちでこそ晴らされ、浄化されていると言えるのではないか。民衆からも教会からも裏切られ、死の一歩手前にあるリエンツィが捧げる神への祈りは、捕縛を目前に控えたキリストの祈りにも通じる絶唱。ひたすら民衆の幸せを願いながらも、妥協のない態度によって民衆の怒りを買い、犠牲となる点でも、二人には相通じるものがある。これを聴いたあとでは、すでに秒読みに入った滅びの瞬間を引き延ばしにするイレーネとリエンツィの対話(14)やアドリアーノとイレーネの対話(15)も蛇足の感を免れないが、今回の上演では(14)に適切なカットがほどこされている。

フィナーレ(16)では、歯切れよい八分音符を基調にした合唱の一糸乱れぬ掛け合いが、暴徒と化した群衆の残酷さと恐ろしさをいやがうえにも強調する。実際、この場の群衆は集団狂気と紙一重のところにあるといってよい。一方のリエンツィももはや正気を保てず、尊大な復活の予告とともに、人々に呪いの言葉を投げつける。劇の前半で両者が築き上げた尊敬と信頼はかくも脆く崩れ去り、革命達成のための一連の成り行きが残したのは、互いへのとめどない憎悪のみ。カピトールの炎上は《ニーベルングの指環》の幕切れにつながる壮麗きわまる舞台効果が見物だが、そこに救済のモティーフが鳴り響くことはない。リエンツィを死に追いやった民衆も、人心の乱れに乗じて市中に攻め入る貴族たちによって、やがて征圧されるだろう。彼らはおのが解放のまたとない機会を、その導き手とともに葬ってしまったのである。この皮肉な結末に、現実を捉えるワーグナーの眼差しの確かさを感じずにはいられない。

 

やまざきたろう。ドイツ文学

 

 

 

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