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カットは作品本来の姿を歪める、という批判もありうる。しかし、受容者が存在し、頻繁に上演されてはじめて、作品の生命が保たれるのもまた事実である。冗長で一本調子に陥りがちな《リエンツィ》を現代の聴衆が楽しむためには、短縮上演は避けられないだろう。あちこちに思い切った削除のメスを入れてこそ、死にかけた作品も息を吹き返すことができるというわけだ。今回演奏されるのは、指揮者若杉弘がこの上演のために作成したオリジナル版。スコアを約半分に切り詰めつつも、劇の本質的な流れを損なわぬよう、工夫が凝らされている。また、日本語による訳詞上演(久保田美江訳)もこの作品では初めての試みだ。以下、ポイントを絞って聴きどころを追ってゆこう。(括弧内の数字は、曲番号。《リエンツィ》はもともと、16の独立したナンバーから成る番号オペラとして作曲されている)。

 

序曲:まずは冒頭で三度吹き鳴らされる単音のトランペットに注目しよう。リエンツィ自身が劇中で説明を加えているように、この「長い喇叭(らっぱ)の響き」は蜂起の合図であり、リエンツィが民衆に与える自由と解放の約束を象徴している。悪しきを裁き、善き人々に永遠の救済を予告する最後の審判の喇叺にも対応するものだが、より直接的にワーグナーがイメージしていたのは、ベートーヴェン作曲《フィデリオ》のクライマックスで聞こえてくる解放のファンファーレではないだろうか。続く旋律は四面楚歌に陥ったリエンツィの祈り(「私はあなた[神]に励ましを受け、貴い力を賜った」)に伴うもの。天から授かったリエンツィの使命、ひいては彼の高邁な理想を表わす格調高い旋律だ。対して、金管で奏される不気味な旋律が、リエンツィの行く手に暗い影を投げ掛ける。理想を脅かす現実の方を表わすと受け取れるが、二つの旋律が交互に現われ、両者の対立が緊張のきわみに達すると、曲は雪崩込むようにアレグロに突入。ここからコーダまでは、民衆の蜂起と閧の声、凱旋の行進、リエンツィへの讃歌が次から次へと続く革命の一大ページェントだ。序曲においてワーグナーは、リエンツィが頂点をきわめるまでの道程を、一抹の不安もまじえながら見事に描き出すことに成功したのである。

 

第1幕:この幕最大の聴きどころは何といっても「長くのばされた喇叺の響き」に導かれたフィナーレ(4)。民衆の歓呼の声が一瞬途切れた瞬間、教会の内部から聞こえてくるオルガンと合唱の清澄な響きは、希望の曙光が舞台に射し込むような効果を挙げるだろう。続いて教会の扉が大きく開け放たれると、枢機卿や領袖を脇に従えてリエンツィが登場し、ローマの解放を宣言(「よみがえれ、貴き都よ、今や新たに」)。ヴェルディ作曲《オテロ》の主人公登場のシーンにも較べられる英雄的な声の扱いが印象的だ。その後もしばしば、厚みのある合唱を突き抜けるような声でまわりを圧倒しなければならないリエンツィは、ワーグナー作品中でも有数の難役といえよう。続いて合合が歓びを爆発させ、行進曲風の讃歌で幕を締め括る。

 

第2幕:(5)第1幕フィナーレの合唱(「誓いましょう、ローマに昔日の栄光と自由を取り戻すことを!」)を変型した流麗な旋律が、共和制ローマの蘇りを祝う盛大な祭典を予告。イタリア全土に吉報がもたらされ、人々が歓びに沸き立つさまを、羊の群れや黄金の実りに色づく田野の風景をまじえて描き出す平和の使者(合唱+独唱)の清楚な歌声は、動乱のさなかに一瞬のあいだ現出した牧歌的安らぎのユートピアを垣間見せてくれるようだ。一方、フィナーレ(7)は贅を尽くした祭典がリエンツィ暗殺未遂の成り行きと重ね合わせられる緊張に富む場面。謀反が発覚してから幕切れまでは、裁判(八分音符の刻みに乗ったチェロの暗い旋律)〜リエンツィに父親の命乞いをするアドリアーノとイレーネ(感傷的な歌唱旋律)〜反逆者に死刑を迫る合唱(歯切れよいリズムによるフーガ風の掛け合い)〜リエンツィによる赦しの宣言(雲間から射し込む光のような慰めに満ちた旋律が慈悲心の気高さを表出)〜劇の流れが停止し、一瞬のあいだ脳裏をよぎる思いを各自が歌にする瞑想的アンサンブル〜行進曲風のリエンツィ讃歌、というように曲調が次から次へと入れ代わる。全曲を演奏すると、甘い旋律の繰り返しが目立つ部分もあり、冗長の感を免れないが、今回のカットによって壮大なフィナーレの美点はかえって活かされているといえよう。なお、結末のリエンツィ讃歌の大合唱に呑み込まれて、はっきりと聞き取れはしないが、リエンツィの処置に疑問を抱く領袖たちの苦々しげな呟き(「時ならぬ温情だ」)にも注目したい。このときすでにリエンツィの没落は始まっているのである。

 

第3幕:(8)警鐘を思わせる金管のファンファーレ、アジタート(激しく)で奏される弦の走句、そしてティンパニーの強打が、事態の急変を表出。それまでとは打って変わった黒々とした響きと劇的な音楽の展開に、ワーグナーの作曲技法の進歩がうかがえる。リエンツィが第2幕で示した楽観的な態度の償いをしなければならなくなるのに先立って、作曲家自身はパリ到着以前に書いた一本調子な音楽を十分にこの場で埋め合わせた、と見ることもできよう。そして、合唱の勇ましい閧の声から曲調が暗転し、走るような弦の伴奏にのってアドリアーノが舞台に駆け込んでくる(8)から(9)への切れ目なしの移行はすでに、後年の楽劇作曲家ワーグナーを予告している。続くアドリアーノ煩悶の場(9)は、葛藤(レチタティーヴォ)〜過去の幸せを回想(有節形式の静的アリア)〜絶望から希望(動きを伴ったアリア)〜神への祈り(アリオーソ風の旋律)〜決断と退場(オーケストラによるコーダ)というように、揺れ動く心理を音楽形式によって描き分けた一続きの長い情景。ちなみに、この曲の音楽的枠組は《魔弾の射手》のマックスのアリアを思わせるが、これは逆にドイツの国民オペラがフランスのグランド・オペラ様式の影響をいかに多く受けているかの証左ともなる。一方、フィナーレ(10)では、市門の外で行なわれる戦闘の場面をそのまま舞台に出さず、不安に怯える女たちの祈りや煩悶するアドリアーノの姿を通して戦闘の成り行きを間接的に描いた処理に、ワーグナーの劇的才能が認められよう。その前後には、出陣に際しての閧の声から凱旋の場における歓びの合唱にいたるまで、勇壮きわまる音楽が繰り広げられる。大編成の軍楽隊を加えた音の塊(マッス)には抗いがたい迫力があるが、第1幕のフィナーレとは違い、その音楽はもはや手放しの勝利の歌ではありえない。舞台に次々と運び込まれる味方の死体、そして父親の亡骸を目にしたアドリアーノがリエンツィに向かって吐く呪いの言葉が、祝勝の情景に暗い影を投げかけるからである。

 

 

 

 

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