WHOハンセン病対策局長のS.K.ノーディーン氏は世界の各地でハンセン病の患者・回復者が直面している問題を指摘し『特に障害を持つ人たちに対する社会の対応には改善すべき点が多々あります。多くの患者・回復者は幾世代もの間、言葉で言い表せないほどの非人間的な扱いを受けてきました。この人々の求めるものは、侵すことのできない基本的人権の尊重であって、単なる慈善ではありません。一日も早く、患者・回復者に対する社会の不正義がなくなるように、私は心から希望します……』と述べました。
国際らい学会会長の湯浅洋氏(笹川記念保健協力財団常務理事)は、友人の森元美代治氏を紹介する前に、『普段、尊厳という言葉について考えることは滅多にありませんし、このことが問題になることもほとんどありません。……個人が尊厳の問題に直面したり、自分の尊厳を示すのはどのような状況でしょうか。おそらく非常な逆境にあるときでしょう。ナチスの強制収容所のユダヤ人はそうした状況に直面しました。また、第二次世界大戦中の東南アジアで、日本軍の捕虜収容所にいた多くの連合国兵士もそうでした。このような状況下での非常なる勇気と犠牲について、耳にしますが、それこそはその人々の内にあった尊厳の表明に他ならないと思います。ハンセン病の体験者たちも、あのユダヤ人や連合国兵士たちとあまり違わない状況に置かれていたと言えます。多くの方々が過去の、あるいは今もつづく非常に不当な状況にもかかわらず、人としての尊厳を証明してこられたし、証明し続けています。今回の見事な展示の数々が立証するように、試練に会い、人間としての価値と尊厳を証明されたのです』と尊厳の問題について触れ、『今回の展示が提唱している「尊厳の確立」は、おそらく私たちへの問いかけなのではないでしょうか。つまり、ここに出席している、ハンセン病体験者ではない私たちを対象にしているのではないでしょうか。……。人の尊厳は、その状況に対する対応の仕方によって判断することができます。あれほど多数のユダヤ人を死の収容所に送ったナチスに尊厳があったとは思えません。同じく連合国兵士を虐待した日本軍兵士にも尊厳はなかったでしょう。さらに、こうした人々が苦しむのを手をこまねいて傍観していた人々にも尊厳はありませんでした。ハンセン病の回復者を含めて、私たちの周囲の社会的少数者に対して、私たちはどう対応しているでしょうか。こうした人々に対する私たちの過去の対応は明らかに尊厳を欠いていたということを、私たちの多くが認めざるを得ないのではないでしょうか。』
『この国連展示が追求している「尊厳」は本来は私たち自身の、つまりハンセン病非体験者側の問題だと考えます。もちろんこれは、残念ながらいまだに不当な状況に直面することの多いハンセン病患者・回復者にとっての問題でもあります。しかし、この尊厳の確立は、実は私たち自身の問題なのだと言えます。個人として、または社会やさまざまな組織の一員として、私たちが正しく対応することができれば、社会の多数と違っていると言うだけで少数グループの人々が苦しむということはなくなるでしょう。……』と問題提起をしました。