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1998国際保健協力フィールドワーク・フェローシップに参加して

 

林由美子(国際医療福祉大学保健学部作業療法学科3年)

ベトナム以外のアジア、途上国をぜひ見たい、それに途上国の公衆衛生、ハンセン病、障害者の実態も感じたいという想いは、100%満たされたフィールドワークであった。それでも、公衆衛生やハンセン病、そして国際保健協力というものには全く無知であるところに、コメディカルの一人としてどう自分なりの視点で見られるのか大きな不安を持ったまま始まったフィールドワークでもあった。

今、帰国して思うのは、私のような者が国際保健の場で何か出来るという自信が持てたわけではないが、11日間の学びの中で途上国の障害者の実態と子どもたちの笑顔を通して、やはりアジアの途上国で汗を流したいと思う。

フィリピンでの9日間で見かけた障害者は、わずか片手の指で足りる程。現地NGO活動家に言い返された「資格をもっているからと日本から来たって、医療なんかはその土地の言葉が出来なきゃだめなんだし、何の役にも立ちゃしないよ。」の言葉。WHOスタッフの「自分の大学でちょっと出来る方という程度の英語では間に合わない。」というご指摘。それに、WHOスタッフの共通の認識‘最大多数の最大幸福。とりあえず命が助かった障害者より、今生死の境にたたされているマラリアの子どもたちにお金は使うもの’は、リハビリテーション概念などまだまだ先、そうしたスタッフなどお呼びじゃないことを痛感させられた。ある意味で現実検討できた良い機会であったとも感謝している。

また、昨年のベトナムでのボランティアもそうであったが、今回の2度目のアジアの途上国訪問で、こうした途上国での障害者の現状は実際のところはどうなっているのだろうと不安は増すばかりである。健常者でさえ明日のパンがやっとの中で、先天性の障害を持って生まれた場合や、家の労働力にと思った頃に明らかになった知的障害で間に合わない場合等の彼らの今後はどう扱われているのだろう。政府からの経済的援助もなく、障害児者施設も一部の階層に限られ、誰もが食べていくのがやっとの状況の中では、障害者の人権などあったものでもないのだろうか。国際機関の方針でさえまず命を救う段階において、CBRはPHCと並んで高く掲げられた政策の一つではあるが、まだまだ発達途中の段階のようでもある。

それに、今回で学んだ国際協力・援助のあり方‘その国にあるもの、人を使って行う’も、今まで抱いていた考えを大きく変えるものであった。海外からやってきた私たちが、直接あれこれ最新の技術を使ってくるのでもなく、試してくるのでもない。私たちの持てる知識と技をその国に合った色に変換して、そしてそれを指導できる地元の人へと伝え置いていくこと、sustainabilityを含んだ援助でなければならない。キリスト教の団体が行った家族計画の成功例からも、いかに援助サイドの持つ価値観やcontextをその土地のものに変化させられるかが援助の成功の一つの鍵でもある。もう国際協力は、ただただ技術を持って渡ればよいという時代ではない。持てる技術をどうその国らしさに変換して、その国に受け入れられる創意工夫のもとに伝え、継続可能な形で残して去ってこられるかが問われるものであろう。

 

 

 

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