私の中の国際保健
田口ゆり(帝京大学医学部4年)
「厳正なる審査の下、最終的に貴方は、フィリピン派遣学生の中の一人に選ばれました」という知らせを手にした瞬間。国内研修最終日に、国内・国外研修者みんなで最終バスぎりぎりまで討論した夜。自分がフェローであることの重さを、どんな時もずっしりとは感じずにはいられませんでした。70名以上の中から選ばれた代表の一人として参加するからには、可能なことには全て挑戦し、吸収できることは全て吸収してやろうと、フィリピンでの7日間その思いだけは忘れずにいました。
今、このフェローシップから何を得たのかと尋ねられたら、思わず「自分でもよくわかりません」と答えてしまうでしょう。それぐらい本当に多くのことを考えさせられました。国際保健という大きな枠組みの中で、上はWHOから下はバランガイ(日本でいう村のような組織)やスラム街まで、フィリピン社会全体を系統的に観察できたことは、普段どうしても医療的な面からの視点に偏りがちな私にとって文字どおり大きな経験でした。政府職員、あるいは派遣された外国人、あるいはバランガイでたった一人の保健婦、あるいはスラム街住民としてそれぞれの立場から「社会」を考えた時、ある一つの事実は何通りもの解釈になり得り、その解釈を基盤にして毎日が営まれていくのです。どの視線からそれらの現状に向かい合っていくかで自分に求められるものは変わってくるわけで、医師になるということは一体どういう意味をもつのだろうかと、改めて何度も考えました。当然、たったの7日間でそんな大きな答えは出るはずもなく、一生かけてこうして自分自身に問い続けていくのだろうと妙に納得したりしたのですが…。
WHO・JICA・NGOそれぞれの活動とその問題点を自分なりに理解していくにつれ、どうしてだろう、何とかならないものかと学生なりに一つずつ考えていく過程は、非常に充実していたと思います。その一方で、自分がいかに今まで狭い世界に生きてきたのか、何も知らずに過ごしてきたのかと、情けないほど歯がゆい時間があったのも事実で、この研修はこれからの私自身への課題として多くのものを残しました。
JICAの母子保健プロジェクトを見たいと、小さな動機から応募した今回のフェローシップでしたが、今振り返ってみると、それ以上の何かをつかんできたと確信しています。医学生としての関心にとどまらず、ひいては一人の日本人として色々考えさせられることが多い7日間でもありました。自分なりにフィリピンで感じてきたものを、今度は確かなものとして私自身が膨らませていかなければなりません。私の中の「国際保健協力」は、今始まったばかりです。