上医治国
三枝英之(北海道大学医学部4年)
1日目、岩尾総一郎先生(厚生省健康政策局研究開発振興課長)のお話の中で、「下医治病。中医治人。上医治国。」という言葉があった。目から鱗が落ちる程納得してしまったが喜んでばかりはいられない。その表現が自分にとってそれ程新鮮だったということ自体実は問題なのである。つまり、私の目に付いていた鱗は何物だったのかということである。落ちてしまったからもういいやと済ます程私の目は節穴ではない。
「下医治病。中医治人。」ここまではよく聞くし、我々学生の間でも高い評価を受けるにちがいない。「上医治国」、ここがミソなのである。こんなこと言ったら、仲間外れにされかねない。「病気(技術と言ってもよい)しか診れないのは視野もしくは心が狭い。人を診てこそ医者である。人々まで診ようとするとは怪しい奴だ。」当たらずとも遠からず、これが多くの学生の認識ではなかろうか。ちなみに「上医治病」に走ってしまう輩が無視できぬ程いるかもしれないことも問題である。
このように実に重要な分野、つまり、公衆衛生に医療関係の学生がいまいちピンときていないとは実にもったいないことである。今回の研修で分かったことだが、国際保健協力における人材不足もその一つの表れであろう。
その点、今回の研修参加者でこんなことを考えた。
・終身雇用や医局制の下では国際医療保健の分野に人材が集まりにくい
・派遣された医師が援助よりも研究に主眼を置いてしまうような場合もある(日本の研究偏重主義?)
・語学や交渉が不得手
・国際医療保健の教育が手薄
・JICAでは派遣医師を厚遇で常に募集している
・派遣専門家の質によって事業がかなり左右されることがある
例;ピナツボ火山噴火で被災したアエタ族の再定任地で健康調査 → 90%以上が貧血と判明 → 担当専門家が途中で日本に帰国 → 調査だけで処置なしのまま
・人材よりも機材が必要とされる場合もある(大病院でもMRIやCTが不足)
例えば、医学生について言えば、大多数のものが卒業後医局に属し、そこでの評価により将来が決まっていくことになる。最先端医療の技術や研究の能力或いは医局内での人間関係が重視される中、例えば、発展途上国の援助活動に数年参加するというようなことは評価の対象にならないし、日本に戻って来た時に身分の保障もない。学生への医学教育でも国際医療保健の学習はほとんどなく、動機づけも知識もほとんどない。
そんな中、この研修の意義は大きいと思う。たとえ下痢に苦しむ破目になってもである。フィリピンのスラム街やアエタ族の再定住地では極端に貧しく厳しい環境にさらさている人々と出会った。日本でもハンセン病患者の受けた仕打ち、隔離・断種・監禁等々を本人から伺った。医療には、一人一人の診療とは別に、大きく社会全体に関わる問題を扱う切迫した需要があることを感じた。
一方で、公衆衛生を供給する側での研修もあった。フィリピンではWHO、JICA、Department of Health(フィリピンの厚生省)からNGOや末端の保健センターに至るまで訪問し、日本でも厚生省関係の方々から話を伺った。
公衆衛生の分野に限ったことではないが、もちろん需要に100%応えられているわけではない。むしろ、そのギャップを埋めていくことこそが公衆衛生の日々の仕事であるし、そのギャップに気づくことが今回の研修の本当の主題であったとも言える。