日本財団 図書館


私たちは2人ずつに別れてそのコミュニティーの家族にインタビューに行きました。私が行った家族は両親と子供4人の家族でだいたい8畳くらいの家に住んでいました。(そこに台所、居間、寝室、トイレ、などがあります)父親にはお会いできなかったのですが、失業中でした。ここトンド地区は田舎から現金収入を目当てに来た人たちの住むところとなっていますが、なかなか仕事が見つからなく苦しい生活を強いられているそうです。うまくインタビューができなかったのでたいしたことを聞けなかったのですが、金銭的に苦しい生活の中にも多くの笑い笑顔があふれているのを感じ取ることができました。日本のように子供に対して個室をはじめ何から何まで与えながらも肝心な親の愛情をうまく伝えられていない社会と、子供のために何かを買い与えるということが難しいけれど惜しみなく親の愛情をあたえる社会とどちらが良いのでしょうか?

核家族に対するインタビューが終わると、CPCDの建物に戻りそこで働くお母さん方との交流会になりました。一緒に歌を歌ったり踊ったり、お母さん方が絶えず笑っているのにつられて私たちも笑いっぱなしでした。お母さん方のパワーはあの笑いから来ているのかもしれません。活動自体やはり素人っぽさがあり、特に去年から始まった健康プログラムに関してはまだうまくいっているような感じはしませんでしたが、それ以上にこの笑顔あふれる環境こそ、大変重要だと思いました。これからもこの笑顔のある活動が続き、子供たちにもその笑顔が絶えないような環境を与えていくことができるようになっていって欲しいです。

 

午前B班

・ALAY KAPTWA

レベリスタ地区にあるコミュニティーでカトリックのシスターにより、1917年に始められました。シスターたちが女性に教育、生活の支援のプロジェクトを始めました。女性も働き、お金を稼ぐように指導され、セッケン、ロウソク、衣類を作って売りはじめました。今では、シスターたちは手を引いて、地元の女性で運営を行い、お金を貸したり、貯蓄を行うシステムなども出来ています。女性たちが地方に行って、同じ活動をしている人々にワークショップなどを開き、協力しています。

また、家族計画の指導も行われています。それは、ここの神父が家族計画に寛容であるし、たくさん子供を作って何人も死なせるよりは少しの子供と共に豊かに暮らす方が幸せだという考えが多く持たれており、試されています。このプロジェクト後、ここの女性はデモなど社会活動にも参加するようになりました。マルコス、アキノ時代には庶民が団結するのを恐れた政府が、ここを燃やした事もあったそうです。しかしそこからも立ち上がり、今に至っています。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION