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のように教えられたのである。それなら最後の時間を,いわゆる「在宅ケア」という形でお世話をして,十分自分の家で思いのままに過ごさせてあげよう。そんな思いを抱いて,平成3年にこの地での開業を決意した。在宅ケアは午後2時から5時までの間に,往診,訪問診療,訪問看護という形で行った。在宅での治療は予想以上に効果があり,特に癌末期患者の疼痛のコントロールが少ない薬量でできたように思う。その理由は,1)住み慣れた自分の家にいる安心感,2)これまで自分が食べていた食事が継続して食べられること,3)自分の事を心配し支えてくれる家族がいつも側にいてくれる事などであろう。加えて私たちも本人のおかれている生活の状況や家族関係がよく理解でき,適切な対処がしやすいという点もあるだろう。

 

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写真6 訪問診察での社宅リハビリ

 

表5 パナウル診療所の在宅死の症例

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悪性腫瘍の内訳

肺癌 6件

大腸癌 4件

前立腺癌 3件

その他 8件

 

表6 与論島の年度別死亡数と在宅死の推移

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C. 在宅死の症例数とその推移

在宅ケアに引き続いての在宅死の患者数は,開業以来の7年間に約90人である。その年度別の内訳を表5に示す。高齢者の在宅ケアは,本質的には在宅ターミナルケアである。ちなみに悪性腫瘍の在宅ターミナルケアは7年間で24名であった。表6は,与論島全体の昭和57年から平成8年までの年度別死亡数と在宅死の推移である。平均して約7割が在宅死であり,病院ができた平成7年以後も在宅死が守られている。

D. 在宅死の事例

在宅ターミナルケアでは,患者が身をもって病気とは何かということ以上に命とは何かということを教えてくれる。

症例1:TMさん。42歳女性。病名乳癌及びBernard-Soulier症候群。経過概要は,昭和60年12月,某大学附属病院にて乳癌の手術を受ける。その後局所再発のため入退院を繰り返す。平成4年3月に全身転移のターミナルステージである事を主治医より告知される。本人の希望で最後は生まれ故郷の与論島ですごしたいと帰島。同時に当院の在宅ケアを希望され,実母と姉の献身的な介護により,10月1日に死亡されるまでの6ケ月間在宅で病気と死を十分受容されて過ごされた。その間の往診件数は4月11回,5月6回,6月8回, 7月12回,8月15回,9月32回であった。

症例2:MMさん。55歳女性。病名肺癌。経過概要は,平成6年4月,本人が頚部の腫瘤に気づき精査のために来院。胸部X線写真で左肺癌部に腫瘤影を認めたため,肺癌のリンパ節転移を疑い生検をした。Metastatic Squemouscell carcinomaの組織結果のため直ちに沖縄のT病院に紹介。入院後急速に胸水の貯留,心ダンポナーゼを繰り返し,処置を行うも病状の悪化をみたため,本人及び家族の希望で6月10日にセスナ機をチャーターし帰島搬送となる。私たちは空港にて患者を迎え,そのまま自宅に酸素吸入,点滴をしながらストレッチャーで搬送した。

 

 

 

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