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住んでいると,太陰暦の方がいまだに新しいもう一つの時間であると感じる。同じく宗教においても自然崇拝の意向が強く,殆どの家が日本古来の神道を拝している。その死生観によれば,人が自分の家以外で亡くなると,魂がそこに滞り自縛霊となる。従って,自分の家(先祖神をお祭りしてあるところ)以外での死は真っ当な死に方ではない。病院で死ぬとその場に魂が残るために,改めて魂を迎えて連れて帰るという儀礼をしなければならない。従って,もし島外で亡くなった場合は,大変な時間と費用を要することになる。それ故に,患者は皆最後は自分の家で息を引き取りたいと願うし,家族もそのように希望する。具体的には,病院に入院していてもいよいよ悪くなると,皆自宅に搬送するのである。たとえ島外からでもセスナ機をチャーターして帰ってくる。そして結果的には,自分の家の畳の上で家族に見守られながら死を迎えるのである。私たち医療従事者は,あくまで一歩引き下がったところで往診という形でそれを見守るのである。余談ながら,与論島には火葬場がなく未だに土葬である。そして8年から5年後に改葬をして洗骨し,この時に瓶に納骨をする。これがすんではじめて,その人が亡くなったことを実感するのだそうである。

 

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写真3 与論島の墓とガンブタ

 

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写真4 訪問看護(サトウキビ畑で)

 

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写真5 急性骨髄性白血病患者の在宅ケア

 

B. 在宅ケアを目指して

このような形の在宅死の行動をとる患者に接した時,当初は正直言って多少戸惑った。与論島に来るまでは,第一線の救急現場で最新の医療技術を駆使して,最後まで患者の命を守るために戦うという医療を実践してきた。思い起こせば,自分の家に帰りたいと訴える何人かの癌末期患者もいた。しかしその頃は,そんな事は希望にすぎず実際には不可能なことだと思い込んで,患者の声に耳を傾けようとしなかった。与論島で何人かの患者の死を自宅で看取った時,自然な形での死に今までとは違った死生観を抱くようになった。特に自分の死期を悟り,自宅で最後まで平常心で過ごす患者の態度に,宗教の修業者に見る「マハー・サマーディ」という悟りの状態を見るような思いであった。いくら医学が発達しても,人は死ぬ時には死ぬのだということを,今更

 

 

 

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