減少傾向にあるものの続いている。表2は昭和61年から平成8年までの島内救急搬送および島外搬送の件数である。島内搬送は毎年110〜150件ほどで,島外への転送率は約22〜30%程度である。ちなみに私が町立診療所に勤務していた平成元年度は,救急搬送133件,島外搬送40件で,その疾患別内訳は表3に示すように外傷13件,急性虫垂炎7件,産婦人科疾患5件などである。また島外への搬送方法並びに搬送先は表4に示す通りである3)。
IV 与論島の終末医療
このようにプライマリ・ケア医として過ごす日々の中で,私が最も心を惹かれたのは,与論島の人々の死の迎え方であった。近代医療に身を任せながらも,自分の死期を悟ると厳然と一線を画すその姿であった。最近医療現場においても,これまでタブー視されていた死の問題が公然と語られるようになった。特にエリザベス・キューブラー・ロス女史が「0ndeath and dying(死ぬ瞬間)」という著書を世に問うてから,その傾向は一挙に加速したように思われる。どんなに医学が進んでも,死というものは生あるものにとって本質的に避けられないものである。それが,近代医療では病院での死の殆んどがそうであるように人々から遠ざけられている。またスパゲティ症候群といわれるように,死の当事者である本人からも遠ざけられた。
ここ与論島では,様々な理由から独特の死生観が残っており,今でも住民の約7割は自分の家で死を迎える。そして死後も自分達の手で懇ろに葬り,家族や親族,地域がその人の死を悼む。まさに死は自分達のものであり,死に行く本人のものである。今日,人々が望む形の尊厳死というものが,ここには厳然として存在する。私はこのような人々の命を支えるために,在宅医療を目指して開業した。
A. 与論島の人々の死生観
与論島の人々は,その厳しい自然環境の中で暮らすうちに,自然と共に暮らす事の大切さを身に付けたようだ。今も殆ど全ての行事が旧暦で行われていることが,その事を如実に物語っている。与論島に