共に生きる心
――与論島の終末医療から――
鹿児島県・医療法人誠友会 パナウル診療所
古川 誠二
要旨
離島におけるプライマリ・ケアの実践のために鹿児島県の最南端,人口約6,300人の与論島に赴任して約10年。そこで出会ったものは,家族や地域が守り続けてきた在宅死の慣習であった。自然と共に生きてきた人々にとって,死もまた自然なものであり,その姿に逆に医療従事者として終末医療のあり方を教えられた。地城には地域の文化があり,その人々の上を支えるのが医療であるなら,その地域にあった医療があってしかるべきだと思う。手さぐりで始めた在宅ケアは,私の医療の概念と人生を大きく変えた。人は自然により生かされているという事を学んだ私は,自然の力を利用した予防医学の医療を始めた。私の10年のささやかな医療体験が,今後の地域医療を考える上で何らかのお役に立てばと思い報告させていただいた。
はじめに
私は昭和63年に離島におけるプライマリ・ケアの実践のために与論島に赴任した。私の考えるプライマリ・ケアとは,患者の病気を診るだけでなく,思考を地域に生きる人間として,生活を含めた全存在として診る包括的医療である。そのための研修方法として,米国家庭医専門制度の研修内容と,日本の離島医療現場における実践内容を参考として,独自のシステムを考えた。そして,そのシステムに基づいて約8年間にわたり自分自身の研修を行うと共に,研修医の養成を行ってきた。与論町立診療所に赴任しての約3年間は,この理論に沿ったプライマリ・ケアの実践ができたと思う。しかし一方では,与論島独自の在宅死という慣習に遭遇し,在宅ターミナルケアに興味を惹かれていった。患者自身の選んだ死の迎え方を見る医療の中で,プライマリ・ケアの原点とも言うべき地域医療の担い手として,その地の人々と共に生きる心の大切さを教えられた。
平成3年に与論島での開業を決意,往診や訪問看護など在宅ケア重視の医療を開始した。私の与論島での約10年余りの体験が,これからの僻地医療を考える上で何らかの参考になればと思い,ここにそのささやかな体験を報告する。
I プライマリ・ケアとは
米国のInstitude of Medicine(IOM)1994年の定義によると,「プライマリ・ケアとは,患者の抱える問題の大部分に対処できて,かつ継続的なパートナーシップを築き,家族および地域という枠組みの中で責任をもって診療する臨床医によって提供される,総合性と受診のしやすさとを特徴とするヘルス・ケア・サービスである」とされる1)。
日本では「日本プライマリ・ケア学会」がその事門性を追求し,活動の中心的役割を果たしている。我国におけるプライマリ・ケアの定義にはまだ様々な見解がある。私は,今村等と共に特に僻地離島医療を担うプライマリ・ケア医としてあり方を考え,