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はありません。こうした状況の中では、以前なら出かけていた交流の場にも出かけなくなり、どうしても家の中に「引きこもり」がちになることが少なくありません。

コミュニケーションをもじって「飲みにけーしょん」ということばがあります。形式張った議論は職場の会議でできても、本音の部分の議論は“赤ちょうちん”でという日本独特の文化から生まれたことばだと思います。この「飲みにけーしょん」のような非公式の場での情報のやり取りが、日本の社会では仕事の情報交換や円滑な人間関係の上で不可欠なことが少なくありません。ところがワイワイした居酒屋での会話は、難聴者には困難度が高くなってしまいます。また、公式の職務上のことでしたらメモを書いてくれる同僚も、情緒的交流をベースにするこのような場ではメモを書いてくれませんし、頼みにくいものです。このような状況下で、何を話しているのか聞き取れないのに、他の人に合わせて笑顔を作るのはきついものです。そのため難聴になると、このような場からどうしても足が遠のき、他人との交流を避けてしまいがちになります。家族の団らんにも参加できず、引きこもってしまう難聴者もいます。この「引きこもり」のために、単に聞こえないと言うだけでなく、職業や家庭生活の上で必要な情報までもが不足してくるわけです。

また、難聴は先の近所の挨拶の側でも分かるように、見た目に分からない障害です。良い悪いは別にして、見た目に分かる障害、例えば下肢障害のために車いすを利用してる方に、車いすのまま「階段をのぼりなさい」という人はまずいないでしょう。ところが、難聴の場合、補聴器を使うにしてもどのような場合は聞こえにくいのかということが分かりにくいために、周囲の方からは「車いすのまま階段をのぼりなさい」に等しいことを平然と言われてしまうことがあります(会議にノートテイクや手話通訳が無い状態で参加させられるのもその側になります)。また、難聴者のなかには、自分自身にとってどのようなときが「車いすで階段をのぼれどといわれているときかが分からず、補聴器で何でも聞き取れるものと信じ込み、聞き取れないのは「自分の努力が足らないからだ」とか「補聴器の性能が悪いためだ」と混乱してしまう人もいます。必要なときに必要な配慮を他人に求めるためには、自分の置かれている状況でどのように困難があり、それを解決するためにはどのような方法があるのかを充分に理解する必要があります。しかし、“目に見えない障害”のために難聴者自身がそのことをなかなか理解できない場合もあるのです。ましてや、他人からは聞こえないために議論に参加できなかったことなどを難聴のためでなく、その人の人格のせいにされてしまうことも少なくないのです。

コミュニケーションの基礎となる情報が不足することと見えない障害故の誤解から、難聴による「引きこもり」は「人間関係の歪み」をもたらすことも少なくありません。そして、このギクシャクした人間関係が難聴のある方の情緒をなおさら不安定にし、一層の「引きこもり」を生じさせてしまいます。難聴がもたらす「悪循環」をどこかで断ち切る必要があります。難聴者の相談を受ける専門家は、この悪循環を断ち切るための役割を期待されているのです。

 

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図1 難聴のもたらす悪循環

 

 

 

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