ここで、大切なのは、これらの数値はあくまで平均的なレベルを示しているという事で、実際には、補聴器によるコトバの聞き取り能力には大きな個人差があります。また、難聴がすすんで補聴器をつかってもコトバの聞き取りがうまく出来なくなってきたときに、すぐに人工内耳を考えるのではなく、まず現在使用している補聴器がうまく合っているかを確かめる事が大切です。補聴器については、この冊子の他の項でも様々な工夫や進歩が述べられていますが、もちろん90デシベルを超える難聴でも補聴器で充分コミュニケーションできる方は決して少なくありません。
参考文献:
熊川孝三、中原はるか、武田英彦、他:補聴器と人工内耳装用者における語音聴取能の比較。 Audiology Japan 40:114-119,1997
(3)補聴器も人工内耳も今後さらに進歩する
以上、現在の状況では純音聴力レベルで90dB、語音弁別能で20から30%のあたりに補聴器と人工内耳の適応の境界があると考えられます。しかし、今後も科学技術の進歩は補聴器にも人工内耳にも性能の向上をもたらすでしょう。補聴器が発達すれば、もう少し高度の難聴の人でも補聴器でうまく聞き取れるようになるかも知れませんし、人工内耳の性能が向上すれば、中等度難聴を持つ患者さんでも人工内耳手術の適応になる可能性もあります。繰り返して言いますと、補聴器も人工内耳も難聴者のコミュニケーションをサポートする道具であり、目標は同じなのです。我々は、つねに補聴器と人工内耳の両方の効果について最新の情報に基づいて判断しなければなりません。
(4)人工内耳をすすめられないひと
【補聴器で充分コトバがわかるひと】
繰り返しになりますが、難聴があっても補聴器で充分コミュニケーションできるひとには人工内耳は必要ありません。人工内耳は「魔法の器械」ではありませんから、手術をしても全く正常にきこえる訳ではありません。また、人によっては人工内耳手術をすると、全てが体内に埋め込まれ、耳に何も付けなくてよくなりせいせいする等と思っている方もありますが、当然これも間違いで耳掛けマイクやスピーチプロセッサ(但しこれはいずれ耳掛けマイクの部分に小型化されます)が必要なのです。補聴器でコトバがわからないと言っても、実際には補聴器が故障していたり、うまくフィッティングできていない事もあります。まず、補聴器が正常に働いていて、しかも適切に調整されているかを確認する事がとても大切です。その上で、どのあたりに補聴器と人工内耳の境界が来るかは、上述の2)の項で述べた通りです。
【蝸牛が閉鎖している場合】
人工内耳では蝸牛に電極を挿入して聴神経を刺激しますから、蝸牛の中にスペースがなければなりません。この検査にはCT(コンピュータ断層撮影)とMRI(磁気共鳴画像法)を使います。これらで、蝸牛の電極挿入部位が骨や線維性組織で埋まってしまっていると診断された場合は一応、手術が難しいという事になりますので、できれば反対側の耳の手術を考慮します。しかし、両側とも蝸牛が閉塞している場合は、やむを得ないので蝸牛骨壁に溝を削開して電極を設置することは可能です。しかし、その場合のコトバの弁別の成績は、蝸牛内のスペースがきれいに保たれていて、完全に電極が入った場合に比べるとやや劣るのは避けられません。もちろん、全く聴こえない状態に比べればはるかに良いのですが、やはりこの様な特殊な条件で手術に踏み切るかどうかは、あらかじめ充分に相談しておく必要があります。