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玉置藤夫(日本代表):日本では、少子化といいまして、子どもが非常に少なくなってきております。それに伴ないまして、海洋少年団員も非常に少なくなっております。そこで今これから、活性化委員会というのをつくりまして検討しております。少子化のなかにおきまして、日本の子どもが少なくなってきておりますから、家庭的教育問題が非常に重大になっております。日本の場合ですと海洋少年団におきましては、訓練的な目標より文化的行動に移らざるを得ないというのが現状でございます。やはり、海洋少年団で訓練をたくさんしますと、子どもが少ないところにもってきましてなおさら集まらない。われわれがやっている交流の場合ですと、第一目標としてまず文化交流を定めております。そしてまず、世界各国の人たちに、いかに文化的交流を通じましてお互いにまず理解をしていただくか。それを第一目標にしております。だから21世紀に向けましては、デイビスさんが言われました通り、高学年低学年と分けまして、高学年ですとインターネットの問題をこれからもどんどん進めたいと思います。現実に、ひとつのアクセスをしましたら、1カ月に800くらいありましたということで、そういうインターネットも含めまして、訓練目標のなかに文化的交流を含みまして、近代的な設備も含めまして、若い世代の人たちにどうやって組み入れていただくか、これからのわれわれの21世紀に向けて若い人たちの海洋少年団の進むべき道ではないかと思っております。以上。

 

仮議長(カナダ):ありがというございます。

 

柳田幸三(日本代表):只今の発言に補足いたします。私は、21世紀を語るには、20世紀がどのような経過をたどってきたのか、そして、現在どういう状況に置かれているのか、それを踏まえないと21世紀の姿は語れないのではないかという気がしますので、20世紀の日本の海洋少年団ほどうあったのか、現在どういう状況に置かれているのかということを簡単に説明させていただきたいと思います。

日本の海洋少年団というのは、大変歴史の長い少年団でございます。1910年代から、海軍の指導のもとに軍事的色彩の強い海洋少年団が生まれているわけです。当時団員であった人によりますと、海洋少年団というのは、エリート集団でございまして、各学校のクラスの1番か2番でないと推薦されなかった。

海洋少年団員は非常にプライドをもった人たちであったわけです。それが1945年、第二次大戦の敗戦によりまして解散され、そして日本が戦後の混乱のなかで再び立ち上がった1951年に、新しい海洋少年団というものが生まれたわけです。その時に、旧来の軍事的色彩をいっさい排除しまして、新しい自由と民主主義のもとに子どもたちに夢を持たせようと、そして世界に目を向けようということで海洋少年団がスタートし、そして順調に発展しました。1975から80年にピークを迎えましたが、その現在に至るまで下降線をたどっています。これにはいろいろな原因がございますけれども、ひとつには内部的な問題としまして、団内部の幹部の高齢化、世代交代が進んでいないためと思われます。また、地方における指導者、これが地方に職場がなく若い人がみな都会に出てしまって指導者が育たないという内部的事情がございます。

それから、社会的状況の変化というも大きく関わっています。先ほど説明がありましたように子どもの数がたいへん減っています。1950年には270万の子供が出生しているわけですけれども、それが1996年には121万人と半分以下に減っています。日本の社会というのは、残念ながら学歴社会でございまして、一定の有名な大学へ入らない限り有力な企業に入るチャンスがない。したがって、子どもたちは塾通いに走るわけです。それからもうひとつ大きな問題はほかに新しい組織がたくさん生まれております。

その中でもスポーツ少年団といって、サッカーとか野球少年団ではそういうところに入れば能力次第でプロとして生きていけるという大きな目玉があるわけです。海洋少年団にはそこへ入って将来どうするという目玉がございません。したがいまして、これらの状況がありまして、いちばんピークの時を100といたしますと現在は40という状況になっております。このように、今大変危機的な状況にあるのが日本の海洋少年団でございます。

 

 

 

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