〜休憩後再開〜
吉永:メニューが詰まりすぎてちょっとしんどい、忙しい感じがすると言われた。皆さんにお渡しした資料では、グリーンツーリズムだったらゆったりした時間を楽しむなんてことも書いてあったんですが。計画をつくるほうは、なんか詰め込まないとサービスが悪いと言われるようで、脅迫観念に取り付かれたような感じ。
沢畑:なんでもない風景、なんでもない暮らしを、それを見て貰う仕掛けをつくっている。そとから水俣を見ている人がいるが、それに対応したい。
山本:環境と経済は両立しないといわれてきたが、環境を大事にすると生活が成立。
水俣以外に水俣を食い物にしようという人がでてくる。その危険にさらされている。起きるという前提で考えておくこと。一過性のブームで消費されかねない。開発できないことが幸いすることもある。うんかのごとく群がる人をどうするか。第一は水俣を愛する人。冷静に考えられるうちに、適正が大事、今のうちに決めることが必要。エコツアーであれ修学旅行であれ、規制する。自然に人間があわせるやり方をする。おりあいを付ける。
林田:交流は相手があること。ここは町場の外から来ている人間ばかりが話している。地元の人がいない。地元の人の側でどう考えたらいいのか考えていた。グリーンツーリズムの練習みたいなことを今回やって、このツアーでどれくらいの収入になるのだろうか。グリーンツーリズムで大きな金になると考えるよりも、どうしたら農業と林業と漁業の、近代ではなくて、複合として、都市農村交流も一つのメニューに、総合的な三次農業、一次産業二次産業じゃなくて、三次産業としての農業、林業、漁業の中でそれが複合的な家業として、そのなかの一つのメニューとしてグリーンツーリズムを組み込んで、経営的になりたつかどうかというのをこれからも考えたいと思います。
吉本:住んでるものの立場として考えたことというのは、グリーンツーリズムとか交流とか言う前に、交流というのは都市農村交流というのは都市から農村に来る交流という一方通行のようなイメージがあります。農村から都市へ行く交流だって当然あっていい。これは都市がつまらないから田舎に来るというのではなく、都市にも良さがある。だけど田舎にもいいところがある。お互いそれで交流したがいいだろう。だから都市に背中を向けてというよりも、ようするに自分のところに目をむけるということですから、都市に住む人は都市に目をむけてと思います。お互い否定する必要はないと思います。
身土不二というのは、身体と土は二つにあらずという、ようするに人の住む環境と人は二つに分けられませんよということ。韓国に農都不二という、農村と都は二つにあらずという、もうお互い一対一対のもので、分離して独立して成り立つモノではないと私は考えています。
グリーンツーリズムは過激にですね、住んでるところで生活するということじゃなくて、旅も生活といいきっていいだろう。今までの暮らしと観光とちょっと違うなと思うのは、生活体験とか参加型はとっていいだろう。地元にとって何が大事かというと、私は三つに考えまして、環境と産業と生活文化の目的はいい自然を残したり作ったりっていう、それから自分たちが地域の生活を楽しむ。それが仕事になったらいいねと私は思ってます。宮城仙台の結城さんの教えてくれた良い地域の条件が6つありまして「住んでいて気持ちがいい、良い自然がある、生きる為の技術を教えてくれるところがある、いい習慣がある、いい仕事がある、友達が3人はいる」それがそろったら良い地域だねって。私たちが住んでるほうが足下にどう気づくかということが、それが来た人と一緒になにか作り合える関係になるだろうと思います。
最後に鋭い対立をしてきた水俣ってのがあります、私はその対立を何かを作るエネルギーに変えるっていうそういうこったろうなとぼんやり考えてます。