Cコース
<報告>
山本:一日森にいた。できるだけ歩いて、車のスピードを落として行った。歩くということが印象的だつった。植林地の徐伐を2時間くらいやった。全身汗まみれ泥まみれになってやった。そのこと自体は辛かったけど、楽しかった。なんで楽しかったかというと、そこで森と直接的に接することができたわけです。木を切り倒すと、パーと明るいところができて、そこでまた下草が生えるということを、改めて自分で分かるわけですね。倒れ始めると空が明るくなっていく。水俣の森を実感した。
自分は食を通して環境や健康を考える。水源亭の食事。炉端でとったばかりのサトイモ、つくったこんにゃく、 トーフの田楽、ゆずみそがあった。夜は、手作りのトーフ、棚田で見たばかりの新米があった。その夜、久木野の人と話した。僕らが本でみる幽霊やお化けの話ではなく、山の神と一緒に暮らしているという話を聞いた。とても素直に聞くことができた。森を歩いたから分かるような気がする。中村さんという、自分がたべるモノをみんな作っている人がいる。おからのコロッケのような古里あげを吉井えりこさん(地元の作家)に命名して貰った。畑、森、に行くことが楽しい。生活そのものが生きる喜び。
このツアーにお金を払って来るとすると、ちょっと忙しかった。水俣にくる動機付けが難しかった、水俣にいってなにをするか、どういう人たちがくるんだろう、関心のある人がくるんだろう、もう一回水俣にくるにはなにが必要なんだろう。世話されすぎるのもよくないが、案内がないと見つけられるものも見つけれない。案内は必要だが、過ぎるのも問題。
<参加者感想>
牧下:22、3年の年輪を刻んだヒノキの徐伐と、美しい棚田を見ると心情的には残して欲しいと思うけれど、それなりの苦労があるんだとも思った。のんびりした割には間のびしなかった。それはなんでかなと思うと、九州の言葉や水俣の言葉が「なんとかばってん」と間くとうれしかった。プログラムの間にそんなのがあってよかった。地元の人が楽しみながら、自然や文化が地元で吸収されて水俣のものにっている気がした。人がいるということが可能性を示している。
川村:ホントに働かされたという印象だ。意地になって木を切った。やまんわろ、かわんわろの話、こういう世界がまだあるんだと思った。食べられるよといった木の実がまずかった、でも実際に口に入れて確かめてきたんだと感じた。それが生きるための技術になっていった。
毛利:自分は水俣をよく知っていると思っていたので、自分が行く必要はないと思っていたが、森に入って横になったときに、違う水俣を見た気がした。
堀内:個々何年かグリーンツーリズムに関心を持っている。今回のツアーでいろんな知恵を学んだ。口に入れて確かめたので、次回はこれはどんな味がするって言える。はっぱをパンと鳴らす遊び。のこぎりが上手く使えない。ぜんぜん切れない。ナタが切れない。せっかく田舎に来ているのに、全然都会だった私。根元をけって、かついで、杉がすぐに倒れないことに短気だった。自分自身を再確認するってこともあった。
森の中でいきなり動く粘菌の話もあった。来ている人の知恵も加わって、ツアーがふくらんでいった。わたしはみんなにどんなことを与えられたのかなあと、ふと思った。記念に、徐伐した木をもってかえりたかったけど、ヒノキの破片をもって帰る。ヒノキの香りがとてもいい。