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しかし、ただ、ただ土地を販売するだけの田園開発は、地域の回有の文化を壊していくだけでなく、そこに移り住んだ人の暮らし自体、都市と同じように乾いたものになってしまう。土地には土地固有のしきたりや、生活文化がある。外部参入者として、新たに、地域に入り、田園生活を始めるには、どうしたらいいのか、今日は、この点を話あっていきたい。まず、自己紹介をかねて、パネラーのみなさんに、田園生活への思いや素晴らしさ、田園主活を始められるきっかけになった部分から、お話しいただきたい。

 

(大山)国際航業株式会社の大山です。私は、昭和21年生まれで、団塊の世代の直前。

日本の高度成長経済を支えてきた世代。しかし、バブル崩壊のころから、自分のことなどを考える時間が増え、田園生活に関心が出てきた。埼玉に住んでいるので、越生によく行くが、なんとも懐かしい感じがする。なぜかと考えると、里山、田園、小川の風景というのは、小さい頃の原風景。セカンドライフはこういうところで過ごしたい。これまでのつきあいもあるので、東京からも2,3時間で行け、農作業ができるようなところが理想。同世代でも同じ様な人が多いことが分かった。しかし、普通の人が突然いなかで暮らし始めるのは大変なので、それを助けられないかということで、サポート事業を考えている。

 

(合田)茨城県八郷町で農業をやっている。八郷に住み始めて16年。その10年ぐらい前から、つきあいがある。1973年、300人ぐらいの消費者が集まって、八郷町に自給農場を作り、自ら野菜を作ったり、農家に無農薬で野菜を作ってもらってそれを買い取るという様な活動をしてきた。東京からは2時間半。生産と生活が密着したライフスタイルを子供に体験させらたのはよかった。どこで会社を辞めてこうした生活を始めるか見極めるのが難しいところ。私は45才で始めたが、60才になったらエネルギーも落ちる。

ただし、会社を辞めなくとも、年間の休日は、141日、1年の38%もあるので、会社に通いながらでも週末の田園生活は始められる。農地は余っており、是非みんなに来て欲しい。そしてできるだけつつましい生活をしよう。今の農村には活力がないので、経験や技術を村のために役立て、村の文化を高めて欲しい。

 

(竹越秀和)茨城県八郷町で、夫婦で家具を創っている。東京生まれの東京育ちなので自然の中でモノをつくってみたいという憧れがあった。最初は八郷町の隣町に住んでみたが、調整区域で家が建てられなかったので、八郷町に引っ越した。山の南の麓で、暖かく良い場所だったので、地主さんに何度も通ってお願いした。井戸、電気工事以外は、基礎工事から全て二人でやった。作業していると近所のお年寄りが寄ってきて、アドバイスをもらったり、苗木をもらったりした。ゆっくりとではあるが、地域の様子も分かってきて、集まりにも入れてもらい、ここに根を生やして生活していくことができるようになってきた。

 

(竹越愛子)八郷町に来たときは、若くて世間知らず、怖いモノ知らずだったと思う。今は、空気や水や土を汚さないよう気をつけながら、食べ物も家具も、作れるモノは何でも作っている。年に、1、2回つくば市で家具の展示会を行い、注文を受けて家具を作っている。木の年輪は、1年に1つしかできないので、無駄にしないように大切に作っている。民家の解体材を材料にすることもある。手間がかかるが、値段に換算すると安くならざるを得ない。18年間経済的にゆとりがあったことはないが、いい家具を作りたいと言う気持ちにウソをつくこともなくやってこれたことは幸せ。自給自足なので生活費も抑えられる。

 

 

 

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