2年間に二ツ井町に訪れたのは、ほんの数回ですが、いわば「よそ者」の目から見た、ニツ井町の魅力をすまいと町なみから話をさせていただきたいと思います。これから地元のみなさんが、良い町をつくるために何を考えるかが大切か何か参考になれば幸いです。
スライドでお話します。
・君町坂の周辺 七倉山を米代川が巻くかたちで蛇行。日本の大事な風景財産。
・杉林と自然の雑木の混合林。人の暮らしと自然とが共主している風景。
・二ツ井町庁舎の屋上から撮った町の風景。赤・青・黒の屋根、白い壁。色とりどリ。
・はさがけの光景、刈り取られた稲の株と残った水、後ろの山、畦のあちこちにある野草。
・町の中心は今風の町。けばけばしい「看板建築」
・病院。ニツ井町の伝統的の形を遺している風格のある建物。雨戸の戸袋の彫刻。
・駅前の旅館。開口部の作り方、奥の取り合わせのデザインに大工棟梁の腕を感じる。
・キリズマ屋根の家。日本の民家の原点。
・寄せうね屋根の家。屋根を二重にすることによリデザインに重厚さを出します。
・入母屋の家。
・100年以上たった民家。地元のゼオライトという石が利用されている。
・橋本邸。花街、遊郭でしょう。非常にいいデザインで造られている。
・明治33年6月の町並み。切り妻の屋根がずっとつながっている。町並みの調和が見事
・昭和22年の町並み。今と比べてはるかに風格がある。
戦後の町づくりは環境開発型でした。どこかに大きな拠点を作って、それを梃子にして町おこしをしようとしてきました。しかし、いろんな点で行き詰まってきました。不景気は環境面からは大変幸いなことでして、お金をもうけなくてもすみます。つまリエネルギーをつかわなくてもすむという時代になったわけです。日本人がもう少し質素に暮らそうと思えば、今の収入があれば十分健康に暮らしていくことができるのです。そういう町づくりを考えて行かなくてはならないのです。
全国あちこち町を見せてもらって、その経験の中で3つのことがわかりました。成功していると思われるところは、どの町でも民と官との共同作業がうまくいっていることです。これが第一の教訓です。二番目がそれぞれの地域が受け継いできた大事な伝統的な財産、主に住まいですが、これを再発見してもう一回はぐくみなおして、次の時代へ伝えようとする、はっきりした目的意識を持ったプログラムがあるということです。三番目は、決してあせらない。すぐに結果をもとめようとしない。時間をかけてゆっくりと地味にやっていこうとしている点です。この3点が共通しているように思えました。
結局、町づくりというのは住まいをつくることではないかと思います。それが町並みにつながっていって、いい暮らしにつながっていくのです。本当におやりになるのは地元の方、地元の方が自分たちのために次の世代にいい暮らしを伝える、つくっていく。その思いがって初めて成り立つものだと思います。二ツ井町にそのことを申し上げて、約2年間応援団の気持ちを持ち続けましたけれども、残念ながら、まだそれに答えて動きはじめたかなという部分をそんなに強く感じておりません。でも、これからでしょうね。それを期待します。
今お見せしましたようにニツ井町にはきちんとした財産があります。奥の方の林から始まって町まで、きちんとした伝統の財産があります。それからいい人が育っています。あとは想い、どんな町をつくりたいか、どんな町を次の世代に伝えたいか、そして行動の一歩です。それを応援団として強く期待して、私もその一員に加われたら幸いだと加えまして、終わりたいと思います。
どうもありがとうございました。