●地域資源調査
地域資源というと、大体名所旧跡や重要文化財までの、観光資源を思い出す。
そうではなく当たり前の、例えば、ムラが川に降りていく道やそこで漁られるウナギ、力二、アユ、…当たり前の川と付き合う生活文化が人事なのではないか。文化と言って芸術文化を考えるのではなく、生活文化、例えば農具を見せてもらったり、野良仕事、の様子などの質問攻めをした。それで、私自身の関心があることを訴え、体験をさせてもらい、「それを地国に落としてみよう」となった。
竹細工の名人、郷土料理のおばあちゃん、昔の人の知恵で川縁に竹を残して流されない様にした植物護岸、伝説…ということを地元の人が地元の人に聴くという形でやってもらった。
地元の自然環境や生活文化、地元の人々が先生であって、あらためて地元を見直す作業、これが地元学。最近の地域づくりや産品開発は何も調べずに、安易なものづくりが横行していた。そうではないんじゃないか、という意識があった。
地元を知るために、よく遊んだ。吉本さんと一緒に東南アジアの各地に行って熱帯雨林の中を歩いたり、全国の吉本さんのように風変わりな(?)すばらしい人を、一緒に尋ねた。
今、山(ヤマ)という言葉にこだわっている。里があって里山があって奥山があって遥かかなたの山…そういうヤマと里という対比で地域を見ていこうと思っている。
「山」は原生林や自然林。山村の人たちが、自然を使っていたというフィールド。里地里山と違って定住文化ではなく、自然に人が合わせると言った感覚が強かったところ。山では山菜採りきのこ採リ等の「採集」も残っている。
これに対し「里地」や「里山」は薪炭林と落ち葉かきの山ですから、長い年月の間、農業とセットで使われてきたもの。里地と里山と言う環境は、人間がほぼ完全に管理しようとしてきた。
「里」は普通畑や水田、家屋敷のあるところで人の手できちんと管理し、山は、現在人工林になっているが自然の姿に戻し、むしろ復元していきたい。
近頃エコツーリズムという仕事が増えてきている。純然たる農村は、里地と里山だけで作られ、保守的で都市一農村交流をやるにしても窮屈な感じを受ける。農村だけというより狩猟採集、例えば山村漁村などは、解放感や安らぎを与える。奥山の狩猟採集の場では、人間が完全に管理していないおおらかさが残っているようだ。
関東は、富士山と浅間山の火山灰の広がった地域。こういう山はいわば遥かかなたの山。冬の北西風が火山灰を降らせた。植物は風で種を飛ばすものも多い。それらは大体9月くらいに咲いて、木枯らしに合わせて種をつける植物が多い。関東―円にそのような風に飛び広がる植物が多い。そのかつての原野を形成した様な範囲を一つの文化目として捉えることができるのではないかと私は勝手に思っている。
●岐阜県萩原町での調査
最近、飛騨近くの岐阜県萩原町で健康保養地づくり、のようなことをしている。
健康保養地は、現代に非常に疲れてしまって、癒しが必要な人たちが来る様なところ。西洋医学のような対症療法ではなく、暮らしの対症療法もさせて、自分自身の自然治癒力を高めていくという療法。山のパワーを持ったところは人工林を切って自然に力を高めることによって山自身も自然治癒力を高めている。そして環境共生型のヒーリングの拠点を作っていこうと考えている。
一通り地元の人にも案内してもらうが、その前に地域と計画地そのものと萩原町のあっちへ行ったりこっち行ったりして、農村集落、植生、スーパーからみた地元の人たちの食生活等、生産者に会ったり、行き当たりばったりでムラの人に話しを聴いたり、役場に人を紹介してもらったりして、まず地域の骨格を理解する。