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ホーキンスのブラックホール論では、ブラックホールは全てを取り込んでしまう恐ろしいもののように言われています。彼は「無限に吸収すると同時に無限に放出する。それが故に宇宙空間は消滅する。」と言っていました。この考えにはびっくりしました。

しかるが故に宇宙は消滅すると言うのは、悲観論、世紀末、なのでしょうか?何か区切りをしたいが故に…これによる蘇りの道を探るための発想法とも言えるのではないでしょうか。考え方によっては「無」とは全てが出発する根元でもあります。

ホーキンスのその発想は「無」の言葉を連想させられました。

 

-ホーキンスの話しに関して、彼は最初、「時間の矢が逆転しても宇宙は収縮してなくなる」と言ってましたが、それを正し、最近は「宇宙は連続的に縦にも横にも時間的にも空間的にも存在しているのではないか」という発想に転換しています。

 

レリーフォレス(?)に「構造とは?」と質問したことがあります。彼は「構造とは関係です。」と答えました。僕はその時それ以上は質問しませんでした。僕もこの答えに賛成です。このフィルムの構造は「私たち記録者とフィルムの対象の関係が写っている。私たちが傲慢になればそれが反映する。またフィルムとそれを見る人も関係を持つことができる。形の上での構造体ではなく、物質的な無形の無数のバリエーションを持った観点、それが存在の構造だ。」と考えています。僕はフィルムを通じてそのことを考え続けてきました。

 

-映像で、蓄肉が少ないなと言う印象がありました。家畜飼育はしていないのでしょうか?

鶏、豚、がいました。しかしそれは戦後の話しです。また、猪を採取します。猪は焼畑を荒らします。

椿山の場合、狩猟民という感じではありません。実際にハンティングに行く姿を見ませんでした。それはみんなある程度の年齢に達していたと言うのも原因の一つだと思いますが。

何故かはわかりません。生活のタブーなどがあるかもしれません。それが跳ねって生産形態があるのかもしれません。僕たちはそれぞれの性質があると言うことをレポートすることしかできないのです。

現在、椿山は年寄りばかりで焼畑はもうやっていません。高齢化により労働に対する人間の意欲、焼畑をやろうと言う意欲がなければ続きません。それに現在は植林地が増えてしまいました。

生命の歴史とは単純ではなく、個性があると同じように社会の動きもあります。

これをトータルに認識できることが必要です。これはどのようにして認識できるかと言うと、他人任せではなく、自分なりに事実を確認していくと言うことしかないと思います。

僕は1928年に生まれました。この頃は世界大恐慌の真っ最中と、歴史の証人たちは書いていますが、我が家は逆に僕が生まれてから借金がなくなり、「副王」と呼ばれ、喜ばれていました。(笑)

 

-山の神様にお祈りをした時、竹に筒にどぶろくを入れていた。お祝いの時は清酒。これを観ると清酒とどぶろくの関係では、どぶろくの方が上のように見えます。しかし米は作っていない地域なので買ったお米で作っているのでしょうか。

そうです。ここは雑穀には困っていないが米にはっています。田んぼにするには水が冷たすぎます。米の田んばではなく、稗田はありました。

家の周りの畑には肥やしを入れるから「こうやし」と呼んでいます。焼畑に入れません。椿山の人は焼畑を「山焼き」と言います。

 

 

 

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