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これは21年前のフィルムです。このときから私たちも日本各地の焼畑に接する機会が増えてきました。

焼畑は根菜類だけを調達するだけではありません。衣・食・住、全て大地から恩恵を頂く…・そんな事例を教わりました。

例えば、他の地域を見ますと、合掌作りで有名な白川郷では、コガヤの焼畑を20年以上やっていなかったが、一昨年再現し、記録しました。コガヤの適地は高度600〜800メートル。それよリ低くなるとオオガヤになります。コガヤはストロー状の茎。オオガヤは逆に詰まっています。人間の頭が空洞では具合が悪いが。(笑)これは保温に優れています。

 

ところでこの椿山で作られているミツマタは3年周期です。しかし、3年周期以上の杉を戦後の一斉造林によって植えられるようになって固定されて、焼畑ができなくなりました。ミツマタは「生活工芸材料」です。1万円札はミツマタから作られています。椿山の人は、倉にたくさんのミツマタをおいてあります。これは莫大な財産ですね。山村は貧乏な印象が集積されたようなところですがそんなことはありません。

こんな話しを池川町の銀行員から聴きました。戦後、貨幣造幣のため、国内で不足していたミツマタを椿山にもらいに行きました。「ちょっと待ちや」と言って椿山の人が持ってきたミツマタは、ひんやりとしていた…何故か?

それは倉に入れていたためでした。同じ行政区内なのに、自分たちより貧しいと思っていた山の人たちがはるかにお金持ちなのでびっくりしたと言うことです。

このような地域の人はよく働きます。焼畑で雑穀を作ると同時にミツマタを作り、そして更に別の雑穀…。3年無肥料で、自給体制になっています。そして換金作物に生活工芸の材料であるミツマタを生産しています。

 

九州地方は竹の山地です。これは焼畑をしても竹が生えています。ところが近年ラオスで実際にやっている方法で焼畑地に竹を植えている地域があることが鹿児島県の民族学者の川野さんは発見し、九州でもこれが行われていたのではないかと考えられています。

 

大地と言うものは単純なものではないし、多彩な恩恵を与えてくれます。これは焼畑と言う角度からも与えてくます。焼畑は農業の一形態であると言う風に農学は捉えていたのではないでしょうか。

 

一人の人間が全部は体験できません。「広げていく」と言う勉強をせねばいけません。これは、比較文化というのでしょうか。

私たちは日本列島で山をどのように活用していたかを知らなくなってしまった。これをどう回復していけばいいのでしょうか?

岐阜県の白川郷で、自然材料を使って生活品をつくるのを記録しています。つるを切ったり、一緒に作業してくれたおじさんが一本のつるの話を聴かせてくれました。「久しぶりにこの辺に来たのだがぎゅうぎゅう締め付けられてこの木は痛いと言っているな」「わしらはこのごろ山に行くことが少なくなったので木の状態がわかっていない」「こんなに立木がつるにぎゅうぎゅう締め付けられるまで山に入らなかったことはなかった」

かつて、いろんな方面から山は必要でした。つるだけでなく根まがりしている木も合掌作りには使われていました。

人が節度を持って手を入れていくことによって出に活力を与えていることもあります。山に入ってそのようなことをしなかったのも、日本社会に節度がなくなっている一つの例なのではないでしょうか。

 

 

 

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