●活性化が図られた事例
-外部からの働きかけにより崩壊の危機からよみがえりを見せた:北海道幌加内町の事例
調査の依頼があり幌加内町を昭和60年の春訪れた。幌加内町は、日本最低気温を記録する気候的に厳しい地域。この町の人口は25年間で4分の1に減少し、3分の1の集落がなくなった。この町村は今後どうなるのだろうかと当時考えた。1年くらいかけて、全集落をまわった。農協は既に倒産し、どのようにして再建するかを悩んでいた。約3000町歩ある農地は、半分が転作奨励金を得るためにソバに転作していた。働いて収入を得るよりも奨励金の方が多くなる。普段は都市で働いて、年一度ってきて、転作奨励金をもらっている幽霊農家が50戸くらいあった。幌加内の人はやる気がなかった。できるかできないかは分からないが、とにかくこの気持ちを変えていかなければいけないと考え、後退から再生した東北地方の農村を見てまわり、「幌加内に欠けているものは何か」を考えた。高校教師など農業と関係のない人も集まり、会合を重ねた。これが意識を変えていった。拠点集落をつくって、自分たちで考えるようにし、3年目には米の1等米出荷が道内一位になった。米作に渾身に努力する人が出てきて、それが波及していった。アンケートを取って今後のあり方を考えた。ソバは加工して売る。北大の先生の指導により熊笹の和紙作りもするようになった。そうして平成3年に農協が再建と幌加内高校50人の枠に対して60人の応募が来るようになった。人口の急激な後退がなくなった。このことから共通目標を持った時に元気になることが明らかになった。逆に方向性を失った時、元気がなくなり後退してくる。
-内発的発展を促す:山形県の小国町の事例
環境よりも「人づくり」を重視し、住民から意見を集め、それを課題化した。これらの課題を住民は数年かけて実行する。そしてまた新しい課題を出して実行する。これを繰り返している。また、利便性は行政が解決し、何人で食べるかは住民が解決する。その過程でいろんな構想が出た。拠点集落構想、緑地産業構想、ぶな文化ふれあい里づくり構想等。児童数が17人の時に、全国で初めてのコミュニティースクールを7億円かけてつくった。このようにして常に町は地域固有性を引き出している。ここでは人が来るし嫁不足も無い。自分たちの住んでいるところを課題化させることにより、住民に主体性を持たせ、小国に住んで幸福だと思うようにする。また、行政内の人の移動をそれほどしていない。民間の導入も行っている。住民と企業と行政による町づくりを小国は20数年前から取り組んでいる。小国の振興計画は、やる主体を明確化しているため、やる人に熱意がある。文化を踏まえ、交流を通して地域は自立をしている。そのためには地域の主体性を生み、内発的発展をしている。
こうして人口減少が低下し、所得水準が県内で最低からトップになった。
-感性を重視した変化の創出:栃木県大田原市「せせらぎの沢」の事例
ここは兼業農家の集落で、子どもが来て自由に遊べる沢を、5年かけて24世帯の農家が自らの手で造った。何故、このようなことを考えたかというと、栃木県の村づくり事業で、30万円をもらったが、24戸から6人が納屋に集まり、3ヶ月間かけて討議し発想の転換のある方向を考えた。ツマミなしで酒を飲み、酒に飲まれない様にしながらの状態で、この飲み会を継続した。一人が綿密な記録をとっていた。このアイデアから「せせらぎの沢」を構想した。
目から上で考えることは理性の世界であるが、目から下で考えるのは感性の世界。シンポジウムは、「共に飲む」ということ。フォーラムは、十字路ということ。つまり、感性の世界で考えるということが大事である。