1]「生きているうちに救済を」
2]「チッソ(株)は患者に償いを」
この二つは政府解決策で40年目にしてようやく決着となりました。
3]「失われた命と体は元に戻らない」
犠牲者に祈りを捧げ、人の心を癒していくなどです。
4]「私たちも働きたい、役に立ちたい」
社会参加と生き甲斐づくりの領域の問題です。
5]「水俣出身とは言えない」
市民による水俣病への理解、対外的な理解、逃げずに正面から取り組み信頼を回復していくことなどです。
6]「水俣湾が水俣病の原点だ」
水俣湾の底質、水質、汚染魚の一掃のことですが、ヘドロ処理は終わり、水質は回復しており、魚は厚生省の定めた暫定基準値以内になりました。
水俣病の問題は解決できることと解決できないことがあります。解決できないことはこれからも共存していくことになります。
このことから、水俣地域の課題としては、
1]水俣病問題の解決
2]福祉や癒し、祈りなどの水俣病(問題)との共存
3]水俣病の犠牲を無駄にしない地域づくりの推進
ということになります。
これらの問題認識のもとに、火のまつり、水俣病市民講座、福祉関係などの様々な住民協働の取り組みがなされ最終的な解決になっていきました。
●「地域の風土に根ざした住まいづくりの取り組み
10年ほど前に、林家、製材所のオーナー、建具職人、鉄工所、設計士それに市職員などが加わった住まいづくり研究会が組織されて、水俣地域の風土に根ざした住まいづくりのための計画づくりとその推進事業が展開されました。やったことは、設計コンクール、「こんな家、こんな町に住みたいなぁ」という絵地図コンクールと絵本づくり、「水俣の風土と住まい」のスライドづくりとビデオ化、視察や研修会の開催などです。
この結果起きたことは、設計の力量があがり、水俣の公共施設が水俣の人たちでもつくれるようになったことのほか、行政と住民間の信頼関係が生まれたことがあげられます。後に住民の自治的組織「寄ろ会みなまた」が設置された時には、この取り組みに参加した人たちが地区の代表になって活発な活動を展開する素地になり、結果として水俣病問題の解決などにも大きな力を果たしてくれました。
●水俣市農協青壮年部と協働での「農産物の流通調査」
農業からの地域活性化をキーワードに水俣における生鮮農産物の流通を調べました。1986年のことです。分かった流通経路は五つです。
市場ルートでは165品を取り扱い13億円の売り上げ、旬がない、季節がないのが特徴です。全国あるいは世界の旬が飛び回っている。