日本財団 図書館


10/2

今日、初めて水俣市を訪れた。

来る前にある程度、水俣(水俣病)について本や写真集などを見て学んだつもりであったが、実際に病を体験した方からのお話は、何よりも伝わってくるものがあった。

ご近所や親戚の方から受けたというイジメのお話、病気やイジメから立ち直らせてくれたのはやはり海に出ることだったというお話、海で自分がとったものは人任せにせず自分で責任を持って扱うというお話、などどれもこうしたツアー(杉本さんとの信頼関係が強い)に参加していなければうかがうことの出来ない、大変貴重なお話であった。

また、実際にお仕事をされているという場所で、海のすぐそばで、お話を聞くことができたので、一層杉本さんの海を思う気持ちを感じることができた。

10/3

今日は、朝から盛りだくさんの充実の1日だった。

箸を作った、アケビを食べた、生のキクラゲを初めて見た。竹の皮に包まれたおむすび、竹のコップで飲むお茶と、すてきなお昼ごはんを食べた。皆さんに心配して頂きながら半袖で稲刈りをした、初めて川で釣りをして魚をとった(そして離した。)、そして最後にいい汗を温泉でさっぱり流した。

こうして自然の中に1日中いたのは、学校で自然教室に行って以来、約5年ぶりくらいのことだった。でも、こうした体験はどれも子どもの頃のドキドキ感を思い出させてくれて、とても心地よかった。(気持ちがよくなって仕事のことを忘れかけていた。)自然の中にいると自分が戻ってくるような気がした。

夜は、地元の方々といろんな話をしたが、皆さんから

「湯の鶴はどこがよかった?どうすればもっといいと思う?」

と質問攻めで、ものすごく真剣に活性化に向けて取り組もうとしているのが分かった。

私は自分の体験と、湯の鶴の皆さんの思いを合わせて、うまく番組を作れるように、このツアーで遊んだ分帰ってから頑張りたい。

 

成田国寛

水俣病資料館にて、あるパネルの前でふと立ち止まった。それは一見なんでもないようなパネルだった。内容は、水銀化合物で汚染されていた水俣湾であった時代、水銀化合物を分解できる「特殊な微生物」が湾で進化してあらわれているといった内容であった。

距離的に近い鹿児島県川内のような海では、水銀に強い微生物は、水俣湾に比べはるかに少ないという。

(微)生物の世界では環境変化にあわせて、常に自ら進化(犠牲的?)させて、自然界のバランスを自動的に取っていてくれる、そんな縁の下の力持ちのような人間的なメッセージをフト、受け取ったような気がした。(自然は止まってはいない、常に動いている)そんなことをイメージしながら、茂道の栄子さんの「語り部」としての話を聞いた時、"ああ、同じなんだなあ"と思った。水俣病では、多くの方々が犠牲となり、今もその症状で苦しまれ、若い人達も、水俣のことを表現できる言葉を持っていないと聞いた。しかし、時間と共に、その中から、「心を進化」させて、それをまわりに波及させることができる方々が、自らの持つ言葉で表現、語ることがひょっとしたら、実体である水銀よりも、他人に与える、また自らに与える影響の範囲は、広いのかも知れない。自分の頭にあった水俣に関する先入観。(語りづらい苦い暗いイメージなど)その先入観を進化した微生物が水銀を分解…?

10月3日のフィールドツアー(D:湯のつるコース)では、とにかく満足、そして充実した時間を送ることができた。

 

 

 

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