河崎眞澄
ツアーがまず水俣病から始まり、ドーンと深みにはまった。知識としての水俣病しか知らない私にとっては衝撃的でしたが、これまで知らなかった胎児性等について理解できました。正直に言えばずっと避けて通ってきた水俣病など過去の(実際は「過去」ではないが)苦しい問題に、正面から向き合わされ、目をそむけたくなる思いでした。最大の救いは杉本栄子さんの本質を突いた話と笑顔。でも良い選択だったのは、例えば杉本さんの代わりに身体に障害があって目にはっきり分かる方が出てこなかった点。これでは、よけい目をそむけるか、エモーショナルな気持ちが高ぶるかのどちらでしょうが。杉本さんご―家の苦闘と幸福が水俣のこの数十年の歴史そのもののような気がします。人間は苦難と闘って自然の素晴らしさを再認識し、今度は積極的に自然を守る意識が高まるものなのでしょう。苦悶の中から自然と「哲学」にも似た…?を得た杉本ご夫婦やご子息達。このご一家は水俣の財産ですね。栄子さんは、「今また水俣が人を呼んどる」とおっしゃった。私に言わせれば水俣にとって最も大切なのは自然の美しさよりも、そこに住む人々なのだ。(中略)人間は生物であって自然の一部分なのだ。改めてこんな当たり前のことを感じる。あるスウェーデン人の医師は「地球はひとつの生命体であって、仮に自然治癒能力があるうちは環境破壊も深刻でないが、今はガンの初期状態」と診断していました。人間も地球という生命体の細胞ひとつひとつなんだという認識、つまり個体ではなく個と全体という意識で、水俣ではこんな感情が強く湧き上がってくる。チッソ、水俣病、患者、魚、海、木々、等ただ景色がキレイという自然の地はたくさんあれど、水俣のような破壊経験のある地において、強くそうした気持ちになれるものですね。環境再生水俣・生活文化体験ということは、ひとことでいえば「水俣経験」ですね。水俣経験を経てひとりの人間は個から地球の細胞に戻る。この経験をいかに伝えるかが課題ですね。人と海と空と森と魚と生き物に感謝。 再見!
水俣市の環境行政について
まずリサイクルありきというゴミ行政への疑問がある。リサイタルは重要だが、ゴミを出さないという大前提が乏しい。リサイクル万能主義に陥ってるのではないかという疑念が消えない。
石田小百合
私も例外にもれず水俣に対する知識が少ないため、水俣といえば「水俣病」といったイメージを持ってこちらにやってきました。しかし、初日から「水俣病という恐ろしい病と長い間戦ってこられた患者の方々の暮らし」「漁師の方の暮らし」「20種のゴミ分別」水俣について少しずつですが知るきっかけが出来ました。
一番心に残ったものは、杉本さんのお話です。
今日、漁をするのに必要な量だけ魚を獲る(ムダにしない)。又それらは魚に対する感謝の気持ちからである…というお話。
とてもイキイキとしていて毎日「生きている!!」と感じる生き方、考え方。明日は、そんな杉本家の皆様と釣りに出かけ、漁師の食事を頂けるということ、とても楽しみです。
本日、一番楽しかったことは、恋路島でビナ貝を取って食べた事です。あんなに多くのビナ貝、ヤドカリを見たのも初めて、またビナ貝の素朴な味も初体験で感動しました。
そして昼食。杉本家の昼食は今回の旅行で最も水俣らしさを感じる、おいしい食事でした。おいしい昼食の後のグリーンスポーツ散策も、ビールを飲んだ後のダルイ体を休める最高の休憩場所でした。のんびり、ゆっくり、ボーッと出来たすばらしい一日でした。
それから、Bヨースの楽しい、物知りな皆さんと一緒に旅が出来た事、貴重です。ありがとうございました。