そうでないと、長くは続かない。そこにあるものはどれも良いのものだ、という信頼ができたら、ある程度高くても売れる。あるものにその物語を加え意味のあるものとする。
吉成:「賢治のイメージから始まっていく」「地元の職人が混在してその宣伝もできる」というのが太陽の家。
竹田:豊さんの店先に出ていた100円の石屑が一番印象に残つっている。問題は100円である、ということではなく、素材を主かすと言うこと。ユーラシアクリエイティブジャパンの今井俊博さんの発想。石屑の多様な使い道を加工できるような人、モノを置く。板状のものに穴を開けたら、素材になる。付加価値をつけたら値段もあがる。これを店か太陽と風の家に置く。しかし、専門的な知識を持った人がいないと難しい。→ボランティアでは無理。毎日ではなく月数回ならできるのではないか。お客さんも手づくり体験できるようにする。
細川:硯は良いところを採る。その破材はいっぱい捨ててしまう。屑と本体の価値が逆転してしまっている時がある。言葉の誤解:地元と都市での価値感の違いから生じる誤解。
鈴木室:硯以外で、紫雲石の使い道は大したものはない。大理石で風鈴も試みたが良い音がしなかった。岩絵の具は良い色がでる。
竹田:大理石で風鈴を作ろうとするのがいけなかったのではないか。元から適した素材があったらもっとすごいことを作るのは大変。硯としての使い道がなかったら、一つの商品からほかの3つくらいの使い道を考える。
鈴木昭平:住んでいる大木地区ではみんながいろんなことをやっている。婦人活動が活発になったのは、僻地で嫁さんがこない、嫁さんの権力を強くしたらいいのではないか、という発想から。若い嫁さんに郷土芸能を教えた。太鼓の稽古をする。35人で若いお父さんたちがバンドを組んだ。かあちゃんたちはおっかけ。手づくりのスタジオを造った。次に太鼓が欲しくなり、太いけやきと牛の革を使って作った。太鼓の稽古をしたり、獅子踊りをしたりしている。竹製品の可能性が考えられる。竹炭、木酢液、竹細工、からかさ、等。炭を作ろう、焼き物を作りたい人はきなさい。星を見ない夜なんてあるのかい。風がおいしい。東蔵さんの言った「農村振興」というのは、こういう所なのではないか。今まで来て泊まってください、と言えなかった。山頂なので、水量が少なく、水道もなかった。
未開発だから、宝が残っている。
鈴木豊:小さいころは、道路に平行した水路があって、そこが炊事場になっていた。今はそんなことが見られなくなってしまった。水のないことに生活はできない。東山は和紙。きれいな水があったから、和紙が生まれた。
鈴木昭平:
・ 山菜は酸性雨など公害と関係ないので食いつづけられる。椎茸は無農薬で作られている。これが地域の産物となっている。自然だけが財産。海にも一時間で行ける。東山町大木地区をまるごと活かす。獅子踊りの発祥の地。風のホールに獅子踊りの飾りを置くことになっている。道路が地区内を丸く走っているため、いろんな地域からの人が入ってきている。