吉成:元々は東京のコンサルをしていた。昭平さんの住んでいる地域は、一回しか行ったことがないが、大木地区は、小さな宇宙のように見える。宮沢賢治や東蔵さんがまだみんなの心の中に生きているようだ。
細川:タンカル工場のサブ施設的な意味での太陽と風の家。地域に根差した施設と言うことで「語るコーナー」を地元のおばあちゃんたちの厨房にして、レストラン経営をしたい。
竹田純一:産直センターは目立たない。東山中心ではなくマーケットを広げるのならもっといろんなアピールを。ポストカードの充実。町から出してもらう。郵便局のスタンプをもっと特徴づける。
吉成:竹の万年筆、鉱物インク、東山和紙。この3つがそろえば、バッチリ。できるだけ自然の素材を使って何か造れないか。東京の伊勢丹にアクリルボードの額縁のドライフラワーがあった。こういったものを宮沢賢治の世界と結び付けたい。
鈴木豊:観光地のお土産では1000円前後のもの。2000円だとだめ。東山の特徴。手づくりはどうしても高くなってしまう。コストを考えなくてはいけない。石の商売はわたしでおしまい。もったいないが、社会保証もない。地元のいろんな石を集めていろんなものを造ってみようと考えている。昭和30年代は、石が何でも売れた時代。今はさっぱりだめ。「地元の石はないですか?」とよく聞かれる。紫雲石→硯、文鎮、印鑑入れ→壁材、大理石→花瓶、風鎮、灰皿、盃、ワイングラス、ワゴン。「硯、和紙、書道」の仕掛けはしたがなかなか成功しなかった。今は、硯ではなく、墨汁の時代。東蔵の足跡を書いたものをトウザ和紙を使う予定。物産展で日本全国のデパートを歩いて見ている。大理石を使ってペンダントなども造っていた。
地元の石は、ジャスパー石は橋の上から見ていると石が川から流れてくる。蛇紋石、粘板岩は、壁材として活用している。一輪ざしの小さい花瓶→500円くらいなら売れる。アンモナイトは取れるけれど小さい。これを巧く組み立ててやればいい。ループタイや指輪。中央大学の学生立花さんは、当時、町の中を歩いて発掘作業を行っている時もあった。
紫雲石は、たくさんある。ロウセキは、少ない、加工しやすい。赤ジャモンは、賢治が好きだった石。加工もできる。ここにある。
小川:あまり加工しないでアクセサリーとして売れるのではないか。石屑でビーズを造ったら売れるのではないか。
吉成:太陽の家でのワークショップの計画。石のワークショップを行う予定。午前中に石の楽器を造って午後はいろんな楽器で演奏会。石っ子賢さん探検隊。地元の小学生を対象としたもの。地元の石発掘隊。
竹田:書道から石を考えていくよりも、石を知って石と親しむというところから広がっていくものが今のアイディア。グスコーブドリの町といって、物語のない商品が一つでもおいてあったら、それだけで全体に対しての不信感をみんなが抱いてしまう。例えば、賢治と関係のない商品があったらおかしい。静岡県の酪農王国では議論の末「ここに作られたものしかおかない」というのが一番であった。