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旧東北砕石上場

土壌改良材の石灰石粉を製造するために、1924年(大正13年)、鈴木東蔵、鈴木貞三郎によって創業された。昭和5年、宮沢賢治が、「肥料用炭酸石灰」を「タンカル」と命名し、昭和6年2月、このタンカルで、飢饉に苦しむ東北の農民を救済しようと技師として営業マンとして働くことになった。飢えに苦しむ農民救済のために日々働くなかから「雨ニモ負ケヅ、風ニモ負ケヅ・・・」が詠まれた。東北砕石工場は、賢治が命をかけて農民救済のために技師として働いた場であった。

 

宮沢賢治

 

昭和4年の春、鈴木東蔵が、病床の宮沢賢治を尋ねて来た。東北砕石工場主であり、石灰岩を粉砕して肥料をつくる工場主であったため、賢治としては、この石灰を使って東北の農村に安くて大事な肥料を供給したいと願い、このことが、東蔵の工場の注文を同時に増やし、工場で働く農民や労働者の安定にもつながると考えた。病床から、タンカルの活用を呼びかける広告文を書いたり、工場の拡張計画を作成するなどしていた。病気が快方に向かったのを機に、昭和6年東北砕石工場の技師として懸命に活動を開始した。そして、この出会いから宮沢賢治と東山町の「グスコーブドリのものがたり」が生まれることとなった。

 

「グスコーブドリの町」

 

東山賢治の会は、平成7年10月29日開催した「第2回陸奥フォーラムin東山」で「グスコーブドリの町東山」を宣言した。賢治の「グスコーブドリの伝記」にでてくるブドリとネリ、それはこどもたちの代名詞。明日の東山を担う子どもたちと、現在に生きる大人たちが、きれいな心をもち、賢治が理想としたグスコーブドリの生き方に学び文化の香りただよう町を創造し宣言したものだ。

 

 

 

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