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この不安定な行政自治に対して、住民2名が一つの高齢化した小さな集落での「国際交流とログハウスづくり」「日本の家コンテスト」を13年前に企画開催し、住民による地域おこしを開始した。この2名のリーダーが、智頭町活性化プロジェクト集団を結成し、共に地域づくりを行うメンバーを増やし、地域づくりのさまざまな手法を実践していった。この中から、住民自身による地域計画づくりと住民自治の手法である「日本0/1村おこし運動」を構築し、平成9年、この手法が行政で採用されるまでにいたっている。

現在はまだ、長い不安定な土建行政の跡を残しているが、確実に、住民の意識が芽生え始めており、街路や河川、また集落の中の東屋づくり、地域の宝ものづくりなどを通じて、活気に満ちつつある町村に転換しつつある。この住民自治を推奨する「日本0/1村おこし運動」のシステムは、京都大学の教授2名、町づくりコンサルタントを始めとする外の風との交流と学習を通じて、システム的な検証を行っているために、住民による地域計画作りの手法として、今後、展開されていきそうである。鳥取県智頭町の素晴らしさは、外の風を最大限取り入れたシステムの確立にあるように思える。

(「日本0/1村おこし運動」の手引きは別紙の通りである)

 

○住民自治を一層進めるために

北海道標茶町は、昭和初期の開拓酪農地帯であり開拓者精神というものが住民の基層にある。この精神の上に、25年前に役場職員が住民自治を問いかけた際に住民の中から自治の芽が出て、現在にいたる足跡がうかがえる。そしてこれを遂行しえたのは、将来を見通すことができた役場職員の見識とそれを支えた住民の開拓者精神にある。

熊本県小国町では、名物町長といわれた河津町長の集落自治と北里博士の功績、そして、「とっぱす精神」の上に、現在、宮崎町長が推進する「悠木の里づくり」と集落自治の考え方が出来上がっている。

宮崎県諸塚村では、戦前の集落自治の文化、山深い山村で自然と共生していた生活文化と自治の方式が、一端は、公民館制度によって変革を受けたが、即座に、諸塚村に馴染む独自の公民館制度として再構築し直し住民自治を再開してきた足跡がある。この再構築の原動力は、山深い諸塚村での生活があまりに厳しいために結いという習慣を壊すと集落機能が麻痺するという危機意識があって再構築せざるを得ないという住民の認識があったことによると思われる。

これに反し、鳥取県智頭町では、ムラ社会の開基状態のなか、耐え難い憤りを感じていた住民が、この憤りをバネにして、外の風を巧みに入れ込み、小さな集落の中から、全国が注目するようなイベントを行うことを契機に、賛同者の輪を広げ、着々と閉鎖的な集落や地区、町村に外と内をつなぐ風穴を開けていく過程がとても興味深い(詳細は、「ひまわりシステムのまちづくり」参照)。これを実現し得たのは、2人の住民の強い意志と行動力企画力があってこそだった。この2人の足跡は、本の中に詳細にまとめられシステム的な検証を京都大学の教授を始めとする人々が行っている。この実践と検証の知恵を、これから実践しようとする市町村や集落のリーダー達は、大いに学ぶ必要があると思う。

そして、この4つの事例を通して、鳥取県智頭町方式の制度を行政施策として引き、標茶町で時間をかけて実践してきた足跡を歩むことを念頭にした住民自治への転換を図ることは、過疎化や高齢化に悩む町村であれば可能ではないかと思う。その意思決定には、時間がかかるであろうが、遅かれ早かれ住民自治の意識を醸成しないかぎり、集落機能や農地の保全、全国の里地の環境保全はできないのではないかと思う。環境保全型里地づくりのシナリオは、行政自治から、住民自治へのシフトとそれを実践するリーダーの存在にかかっている。

 

 

 

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