日本財団 図書館


変革による便益

Bay of Plenty地域では、タウランガ港の民営化において3者の勝者がありました。つまり顧客、株主、そして地域コミュニティが勝利したわけです。

まず顧客についてですが、1989年以降主要なオペレーションの指標の、効率がどれくらい向上したかについてみてみます。貨物量については、1989年の400万トンから、1997年の869万8000トンまで、約2倍伸びています。また貨物船の出航数は大幅に伸びて、当時の年間530隻から、昨年は1090隻となっています。そして接岸日数は急激に短縮され、2891日から1853日となっています。貨物船の平均滞在時間は、5.5日/隻から1.7日/隻に短縮してきています。このような成果が得られたと同時にタウランガ港の埠頭での労働者の数は大幅に縮減することができました。1989年にギャング当たりの平均人数は10名でしたが、今日では取扱い貨物の種類によって異なりますが、ギャングは2〜5名の体制となっています。

タウランガ港は、この改革前夜、変化の過程において潜在的な利益を最大限にしようと企てました。輸出、流通、集積などの一連のサービスを提供するのでは十分ではありません。顧客はこれらのサービスを可能な限り低いコストで求めています。民営化は、このような目的を達成するための能力を我々に与えてくれました。また、技術革新の余地を与えてくれました。次に、最近の事例をお話しましょう。

材木および木工品業界はタウランガ港の主要な顧客です。1990年代の初めは非常に厳しい競争にさらされ、近隣港では顧客ニーズに合うように非常にきめ細かい、お客様中心のサービスを提供し、客をわれわれから奪いつつありました。その顧客は1年半前、私どものところに悩みをもってきました。輸出事業者としてご他聞にもれず輸送費用を下げて利益を上げたいと言ってきたわけです。可能性として、港湾地域外ではなく港湾地域内での保管をすることができないかという要請がありました。この興味深い要請に対して、素晴らしい解決策をわれわれは用意しました。すなわち、彼らの港湾地域外の保管会社のところへ行って提案したのです。単純なことです。両方の会社が力を合わせて顧客のニーズに合わせるか、あるいは双方共にこの顧客を失うという現実のリスクを受け入れるかということであったわけです。その結果、タウランガ港はここの地域の主要な保管及びマーシャリング・サービス会社であるOwence Service Bop Ltd.とジョイントベンチャー会社をつくりました。そして2つの会社の相乗効果をもたらすことによって、この顧客のビジネスニーズに応えたわけです。ということで、顧客の問題が、創意工夫にみちた事業機会に発展したのです。

このような解決策は、さらに他の顧客からの似たようなサービスの要求へとつながりました。すなわち、重要なお客様一人のお手伝いのみならず、さらなる事業成長のための種をまいたことになります。このアプローチは、10年前には、港湾産業の公共所有による弾力性の欠如のためうまくいかなかったと思います。

民営化後、タウランガ港の勢いのよい成長がみられており、株主は大変恩典を得ています。タウランガ港の競争力を維持するためにお客様を大切にするということに特に力を入れました。このような事業戦略の成果は、我々の収益性に反映されています。証券取引所に上場以来、収入は1993年の3330万ドルから、昨年の4460万ドルまで伸びています。税引後利益はこの間2倍以上に増加しており、600万ドルから1220万ドルに伸びています。配当金は380万ドルから840万ドル、1株当たりの配当は5セントから11セントとそれぞれ2倍以上に伸びています。この港湾は、税金として、政府に対して1800万ドルの貢献をしました。

このようなタウランガ港の持続的な成長に対する努力は、Bay of Plentyという地域に積極的影響をもたらしました。Environment Bay of Plentyは我々の主要株主で配当を受けているため、地域の自治体は地方税を低く抑えることができています。輸出入業者にとって、この港湾はハブですので、われわれが効率的なオペレーションを行うと、われわれのサービスを使う企業も、より効率的になりうるということで、われわれの実績は、間違いなく、地域や国家の経済の実績と深く結びついています。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION